い様な姿をとる事であつたらしい。奈良朝に於ける成語・術語の用法には、漢土の意義に比べて、誤用がかなり多くある。けれどもかうした正史とも言ふべき欽定の書に粗漏があるだらうか。大体「紀」なる体の意義を知つて、命《なづ》けたものと思はれる。
さすれば、両漢紀に対して、漢書・後漢書(?)が持つてゐたやうな関係が、日本紀と其以前にあつたわが国出来の或書籍との間に、あつたらうと言ふことも言はれると思ふ。
重刻両漢紀後序に、
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其事、咸《ミナ》編年に萃む。故に紀と曰ふ。其事、伝・表・紀・志に分つ。故に書と曰ふ。
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とある。そこで、順序から言へば、日本紀以前に、正史体の「日本書」と言ふものがなければならぬ。さうして、其日本紀は、むざうさに謂《い》へば「日本書」の伝であり、其「帝王本紀」を中心として、編年体に「日本書」を整理したものでなくてはならない。私は久しく「日本書」の実在について疑念を放さなかつた。尠くとも、両漢書の例で見れば、百二十巻位の巻数の正史がなくてはならないのである。史実はしば/\吾々の合理的想像を超越して、意外な大きな事実を包んで顕れて来る
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