理由も、こゝに在るのかと思ふ。
「日本紀」に対する「日本書」はあつた。併し其が果して、正史の形に完成してゐた物であつたかは、疑問である。唯今までの考へ方ですれば、日本書の一部なる帝王本紀が、帝紀として行はれてゐたと見るのが、一番適当らしく思はれる。
さうして、更に推測を加へれば、日本書の帝紀が早く成つて、其が伝写を経て、様々の異本を生じて居たものとも考へられる。此が帝紀なる語を普通名詞化した導きになつたのではあるまいか。
かう言うては来ても、尚一種の外交政策から、日本書よりも大きくて整うた日本紀を拵へたのではあるまいか、と言ふ疑念は、消しきることが出来ない。国際関係を痛切に意識するやうになり、それと同時に、文明が適当な度合ひに進んでゐたとしたら、その時代の政治家の企てる為事の一つは、修史と、版図の整頓を示す地理書の撰述である。其国に完全な国史のあると言ふことは、支那風の国家観念には、主要な条件になつて居た。古事記の出来た意義は、私には、ほかに考へがある。
日本紀は全く此目的からして、いろんな時代的陣痛を経て生れ出たものなのである。日本紀があるかないかと言ふ事が、其宮廷に正史あり、紀類の
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング