る者がなく、短歌を創作する者もなくなつて居たのが、支那文学の軟派書の影響を受けた人々が、国土・人情の違ひを超えて一致する民譚や、風習や、考へ方のあつたのに気がついた。さうして、此を支那の小説・伝奇の体に飜訳した。其試みが嵩じて、序・引・跋等を律語風の漢文に書いて、文中に古事記式の記録体又は、民譚或はほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]の芸謡などの長篇の抒情詩を篏《は》めこんで喜んだ遊戯態度が、進んで純文学動機を、創作の上に発生させたのである。一方宴遊の場合に詩文を相闘し、鑑賞し合ふのに、国語を以て出来ぬまだるこさと、教養不足とから、自然宴遊詩から宴遊歌に移つたのであらう。ともかくも、一時衰へた短歌は其衰へさせた人々によつて、復活せられて、文学遊戯の対象となり、宴遊を種とした小説や、更に進んでは、上官への哀訴を寄せた告白文などにさへなつた。貧窮問答などの構造は小説体である。
家持の賀歌・宴歌などに苦吟したのは、彼の才分の貧しい為とも考へたが、此事情から見れば、さうは言へなくなつた。氏[#(ノ)]上として諷誦の責任のあつた前代の奏寿其他の天子を対象とする呪言《ヨゴト》、氏人に宣《ノ》る神言《ノ
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