は、彼が鎌倉の末に手をつけて、失敗の轍《てつ》を示して置いたのであつた。彼は、自分の後進者には、この方面には進ませようとせなかつたらしい。彼の撰《ツク》つた選集の「玉葉」及び、其系統の「風雅」の二勅撰集は、毘沙門堂――彼の派の別名――風のよい方面を示してゐる。
其頃には、よい教導者を戴いて出来たよい雰囲気の上に、優れた多くの宮廷歌人が出た。其最注意してよいのは、男性では伏見院、女性では永福門院である。私は玉葉・風雅二集の為に、今まで書いた文章位の分量の評論を作つて見ても飽くまい。けれども今は、思ひ切らねばならぬ。だが、土岐さんの此本が機縁になつて、歌の邪道・地獄の歌とまで、二条派及び其末流並びに伝説を信じて研究を怠つた耳食の学者たちから、久しく呪はれてゐた玉葉・風雅が、正しい鑑賞の下に置かれる様になつたことを欣ばずに居られない。此為に此文章は、有頂天の嬉しさを持ちつゞけて、くど/\書かれたのであつた。
今一つ、言ひ添へる未練が許されるなら、明敏な読者には、既に悟られた筈の事を、更に明らかにして置きたい。我々の時代まで考へて来た所の短歌の本質と言ふものは、実は玉葉・風雅に、完成して居たの
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