群行・群舞或は、其間の聖地礼拝などから出た民俗が、大変な結果を生んだと言へよう。
此小唄踊り、即組唄踊りが、琉球の芸能に亦、反響せずに居なかつたであらう。
私は、組踊りの発生が、もつと古いと信じてゐる。尠くとも、歌舞妓がまだ踊りであつて、演劇でなかつた時代にあると思ふ。唯必しも、組踊りなる語の記録が、江戸最初以前にあるかを問題にしない。五組の踊りが作られた時代には、もう組唄から脱して、早歌《サウガ》・連事《レンジ》といふ形をとつて了うてゐた。謡曲の形に近づいてゐるのである。だが、対話を主としてゐる点は、叙事の多い謡曲との間の、大きな溝である。今考へる組踊りよりも、古い形があつた。其は、多く独白式に小唄を列ねて、謡ひ踊るものであつたと思ふ。さうした姿でとりこまれた、楽器の伴ふ歌謡の気分を、表現する組唄《クミ》の踊りが、新しく渡来した。此は、お国の例もあるから、後れて渡海した、念仏者の業蹟ではないかと思ふ。又、薩摩・堺へ交易に来た、島人の見覚えから移した事も、考へられてゐるのである。
組唄《クミ》の踊りといふ、優雅な音覚を持つた語を以て、此小唄踊りを示す習はしが出来て来ても、やはり此に似た組織を持つた、にせ[#「にせ」に傍線]念仏なる名は、行はれて居たのであらう。念仏の語が、次第に卑賤な聯想を伴ふ様になつて、漸く組踊りの名が、表に出て来たものと思ふ。でも、其間に、組踊りのくみ[#「くみ」に傍線]なる、抒情的な組唄は、次第に律語式な会話に代つて居つたのである。
組踊りの詞章は、南島の知識伊波さんにすら、説き難い若干の古語を含んでゐる様である。それ等の語の中には、創作当時、意義は知られてゐても、既に廃語となりかけてゐるものや、或は既に死語になつた雅言をすら、間々交へて居たのではないかと思ふ。此を伊波さんは、おもろ[#「おもろ」に傍線]双紙から採つたものと言うてゐる。其もあるに違ひない。が其外に、前期組踊り詞章の中の、固定した語句などもありさうだ。此は習慣的伝襲や、見物の知識を利用して、劇的効果を収める方便に用ゐられた為と考へてもよい。其ほど、今残つてゐる組踊りは、言語の品位といふ点において、注意を潜めてゐる様子が見える。
伊波さんは、組踊りに対して、羽《ハ》踊りのある事を説かれた。「くみ」と「は」との対照は、やまと[#「やまと」に傍線]移しである。端唄踊りが、正式優雅な組踊
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