した「小次郎」の子孫のもてなしを受けられるのだと説明してゐる。此は、固より仮りの説明であつた。山王の神人として、遠く離れ住んだ奴隷村なのであつた。其が、何時からか、卑人の渡世として我人共に認めた馬具細工をする様になつてゐたのである。謂はゞ此は、神輿洗ひであり、麓川の贄《ニヘ》を献る事を職として居たものであつたらしいのである。今宮の村は、元、祇園の神輿を浪花の海まで舁き下つて、神の禊《ミソ》ぎの助けをし、海の御調《ミツギ》を搬ぶ様になつて居たらしい証拠がある。今宮の駕輿丁の話は、祇園の神の召使ひであつた俤を示すと共に、広田や西の宮(夷神)と引つかゝりを見せてくれるのである。
元々、禊ぎの神でもないのに、広田・西の宮は古くから、住吉・※[#「さんずい+文」、第3水準1−86−53]売《ミヌメ》の神々とごつちやに考へられて来た。禊ぎの助手である海辺の民が、其方面の神を主神とするのは、不思議のない話である。一体祇園は、古い「夏|祓《ハラ》へ」の形をがらりと変らした神であつた。行疫神自身であつた天王が、夏の季に、新来の邪悪の霊を圧服して、海の彼方へ還つて行かれるものと考へ出したのは、平安の都がや
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