慳貪な声を上げて、二人を追ひ返した。
何も知らぬ身毒は、其夜一番鶏が鳴くまで、師匠の折檻に会うた。
夜があけて、弟子どもが床を出たときに、青々と剃り毀たれた頭を垂れて、庭の藤の棚の下に茫然と彳んでゐる身毒を見出した。源内法師の居間には、髪の毛を焼いたらしい不気味な臭ひが漂うてゐた。師匠は晴れやかな顔をして、廂に射し込む朝の光りを浴びてゐた。然しそれは間もなく、制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦童子と渾名せられてゐる弟子の一人に肩を扼せられて出て来た、身毒の変つた姿を目にした咄嗟に、曇つて了つた。
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何も驚くことはない。あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。
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身毒を居間に下らした後、事あり顔に師匠の周りをとり捲いた弟子どもに、こだはりのない声でから/\と笑つた。
瓜生野の田楽能の一座は逢坂山を越える時に初めて時鳥を聞いた。住吉へ帰ると間もなく、盆の聖霊会が来た。源内法師はこれまで走り使ひにやり慣れた神宮寺法印の処へさへも、身毒を出すことを躊躇した。そして、その起ち居につけて、暫くも看視の目を放さなかつた。
どうも、うは/\してゐる、と師匠の首を傾けることが度々になつた。
田楽師はまた村々の念仏踊りにも迎へられる。ちようど、七月に這入つて、泉州石津の郷で盆踊りがとり行はれるので、源内法師は身毒と、制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦童子とを連れて、一時あまりかゝつて百舌鳥の耳原を横切つて、石津の道場に着いた。其夜は終夜、月が明々と照つてゐた。念仏踊りの済んだのは、かれこれ子の上刻である。呆れて立つてゐる二人を急き立てゝ、そゝくさと家路に就いた。道は薄の中を踏みわけたり、泥濘を飛び越えたりした。三人の胸には、各別様の不安と不平とがあつた。踊り疲れた制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦は、をり/\聞えよがしに欠をする。源内法師は鑢ででも磨つて除けたいばかりに、いら/\した心持ちで、先頭に立つてぼく/″\と歩く。久かたぶりの今日の外出は、鬱し切つてゐた身毒の心持ちをのう/\させた。けれどもそれは、ほんの暫しで、踊りの初まる前から、軽い不安が始中終彼の頭を掠めてゐた。彼は、一丈もある長柄の花傘を手に支へて、音頭をとつた。月の下で気狂ひの様に踊る男女の耳にも、その迦陵頻迦のやうな声が澄み徹つた。をり/\見上げる現ない目にも、地蔵菩薩さながらの姿が映つた。若い女は、みな現身仏の足もとに、跪きたい様に思うた。けれども身毒は、うつけた目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声にほれ/″\としてゐた。ある回想が彼の心をふと躓かせた。彼の耳には、あり/\と火の様なことばが聞える。彼の目には、まざ/″\と焔と燃えたつ女の奏が陽炎うた。
踊り手は、一様に手を止めて、音頭の絶えたのを訝しがつて立つてゐた。と切れた歌は、直ちに続けられた。然しながら、以前の様な昂奮がもはや誰の上にも来なかつた。身毒は、歌ひながら不機嫌な師匠の顔を予想して慄へ上つてゐた。……あちらこちらの塚山では寝鳥が時々鳴いて三人を驚かした。思ひ出したやうに、疲れたゞの、かひだるいだのと制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦が独語をいふ外には、対話はおろか、一つのことばも反響を起さなかつた。家へ帰ると、三人ながらくづほれる様に、土間の莚の上へ、べた/″\と坐り込んだ。
源内法師は、身毒の襟がみを把つて、自身の部屋へ引き摺つて行つた。
身毒は、一語も上つて来ないひき緊つた師匠の脣から出る、恐しいことばを予想するのも堪へられない。柱一間を隔いて無言で向ひあつてる師弟の上に、時間は移つて行く。短い夜は、ほの/″\あけて、朝の光りは二人の膝の上に落ちた。
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芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。
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かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。
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さあ、これを血書するのぢやぞ。一毫も汚れた心を起すではないぞ。冥罰を忘れなよ。
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身毒はこれまでに覚えのない程、憤りに胸を焦した。然しそれは師匠の語気におびき出されたものに過ぎない。心の裡では、師匠のことばを否定することは出来なかつた。経文を血書してゐる筆の先にも、どうかすると、長者の妹娘の姿がちらめいた。あるときは、その心から妹娘を攘ひ除けたやうな、すが/\しい心持ちになることもある。然しながら、其空虚には朧気な女の、誰とも知らぬ姿が入り込んで来た。最初の写経は、師の手に渡ると、ずた/\に引き裂かれて、火桶に投げ込まれた。身毒は、再度血書した。それが却けられたときに、
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