暑さで、一晩のうちに生れたのだらう、と話しあうた。草の上に、露のある頃から、金襴の前垂を輝かす源内法師を先に、白帷子に赤い頬かぶりをして、綾藺笠を其上にかづいた一行が、仄暗い郷士の家から、照り充ちた朝日の中に出た。さうして、だら/\坂を静かに練つておりた。制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦は、二丈あまりの花竿を竪てながら、師匠のすぐ後に従うた。
一行が遠い窪田に着いた頃、ぽつちりと目をあいた身毒は、すまぬ事をしたと思うて床から這ひ出した。衣装をつけて鞨鼓を腰に纏うてゐた時、急にふら/\と仰様にのめつたのである。鼻血に汚れた頬を拭うてやりながら、師匠は、も暫らく寝て居れと言うた。
身毒は、一夜睡ることが出来なかつたのである。今の間に見た夢は、昨夜の続きであつた。
高い山の間を上つてゐた。道が尽きてふりかへると、来た方は密生した林が塞いでゐる。更に高い峯が崩れかゝり相に、彼の前と両側に聳えてゐる。時間は朝とも思はれる。又日中の様にも考へられぬでもない。笹藪が深く茂つてゐて、近い処を見渡すことが出来ない。流れる水はないが、あたり一体にしとつてゐる。歩みを止めると、急に恐しい静けさが身に薄《セマ》つて来る。彼は耳もと迄来てゐる凄い沈黙から脱け出ようと唯むやみに音立てゝ笹の中をあるく。
一つの森に出た。確かに見覚えのある森である。この山口にかゝつた時に、おつかなびつくりであるいてゐたのは、此道であつた。けれども山だけが、依然として囲んでゐる。後戻りをするのだと思ひながら行くと、一つの土居に行きあたつた。其について廻ると、柴折門があつた。人懐しさに、無上に這入りたくなつて中に入り込んだ。庭には白い花が一ぱいに咲いてゐる。小菊とも思はれ、茨なんかの花のやうにも見えた。つひ[#「つひ」に傍点]目の前に見える櫛形の窓の処まで、いくら歩いても歩きつかない。半時もあるいたけれど、窓への距離は、もと通りで、後も前も、白い花で埋れて了うた様に見えた。彼は花の上にくづれ伏して、大きい声をあげて泣いた。すると、け近い物音がしたので、ふつと仰むくと、窓は頭の上にあつた。さうして、其中から、くつきりと一つの顔が浮き出てゐた。
身毒の再寝《マタネ》は、肱枕が崩れたので、ふつゝりと覚めた。
床を出て、縁の柱にもたれて、幾度も其顔を浮べて見た。どうも見覚えのある顔である。唯、何時か逢うたことの
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