[#「たまふり」に傍線]といふ事が行はれたが、其原意はやはり、魂を固著させる事である。其が後には、鎮魂即、たましづめ[#「たましづめ」に傍線]といふ様な思想に変化するが、其までの間に、魂がふゆ[#「ふゆ」に傍線]、魂をふやす[#「ふやす」に傍線]などの思想が、存在したのであつて、恩賚即、奈良朝前後の「みたまのふゆ」などゝいふ言葉も、其処から生れて来てゐるのである。
かういふ意味で、神に食物又は、類似の物を捧げるといふことは、相互の魂の交換を図る為である。出雲国造神賀詞なども、其氏の人が、服従を誓ふ為に、唱へ言をすると同時に、其魂が先方へ附くのであるが、其だけでは物足りないので、魂は其食物につく、といふ古い信仰に随つて、食物を捧げ、氏々の祝詞を唱へて、魂を呼ぶ事になつた。鏡餅・水・粢・醴・握り飯など、様々の供物を捧げる根原は、こゝにある。つまり両方面を兼ねて、魂を捧げる、といふ事になつたのである。
だから、唱へ言は、其唱へられる人々からは、寿詞即、齢に関する詞であると同時に、此を唱へる人から見れば、服従の誓詞である。即、守護の魂を捧げて仕へてゐる人の健康を増進せんとすること、其が服従の最上の手段である。後には、其服従を誓ふ詞の表現に、種々の特別な修辞法を用ゐる事になり、譬喩的な誓ひの文句を入れる事になつたが、古い誓ひでは、寿詞を唱へる事が即、誓ひであつて、同時に其が受者から見れば、寿詞であつたのである。
かういふわけで、我が国の古代に於ては、寿詞《ヨゴト》を唱へて、服従を誓ふ事は、即其魂を捧げる事であつたが、此魂と、神との区別は、夙くから混同せられて了うてゐる。にぎはやひの[#「にぎはやひの」に傍線]命は物部氏の祖神と考へられてゐるが、実は、大和を領有する人に附くべき霊魂である。此大きな霊が附かねば、大和は領有出来なかつたのである。だから、神武天皇も、此にぎはやひの[#「にぎはやひの」に傍線]命と提携されてから、始めてながすね[#「ながすね」に傍線]彦をお滅し遊されたのであつた。石[#(ノ)]上の鎮魂法が重んじられたのも、此事実から出てゐる訣であつたのだ。かやうに、下の者から上の者に、守護の魂を捧げると、其に対して、交換的に、上の人から下の者に魂を与へられる。神に祈ると、神の魂が分割されて、その祈願者にくつゝいて働きを起す。後期王朝から見える、冬の衣配り行事は、其遺習
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