継子で、勘当同様に家を出されてゐる市松と言ふのが、木津の中、何処かに住んでゐるはずである。
兄進の知人日疋重亮と言ふ人の話では、東京本郷座の辺に、折口冬と言ふ女名前の宿屋があるさうである。古顔の壮士役者中村秋孝といふ人の妻のよし。母に訊くと、其はやはり家の親類で、三十年程前まで、隣りあひであつた豆腐屋の娘で、堀江で茶屋を出してゐた者だ、と言うてゐた。
兄静の立てゝゐる家は、代々折口彦七で、曾祖父・祖父の二代は岡本屋と言ひ、岡彦と称へた。岡本屋と言ふのは、木津の名主で、ところから住吉まで二里近くの間、他家の地面を踏まずに、行くことが出来たといふ家である。曾祖父は、其処の番頭になつてゐたので、其屋号を専ら用ゐてゐた。曾祖母登代といふのが、非常な賢婦人で、諸芸・読み書き、何でも出来た人である。つぶれかゝつた家を、女手で引き起して、飛鳥造酒之介・上野つたの二人を養子にして、家を護つた。登代の継子(曾祖父彦七のうきよの子)彦次郎といふのは、学問嗜きであつたが、放蕩であつた為、勘当した。祖父彦七の代に、熊野から来た六十六部が、彦次郎が尚、熊野に生きてゐて、寺子屋を開いてゐるよしを伝へたさうだから、
前へ 次へ
全16ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング