たことについて、疑ひを起さぬ訣にはいかぬ。先年亡くなつた祖母も、百姓一まきの家としての、所謂はなや[#「はなや」に傍線]を知つてゐるばかりで、花を売つてゐたことは知らぬ、と言うてゐた。此屋号は、はなや[#「はなや」に傍線]といふ音の第一綴音に、音勢点があるので、今の大阪語の花屋は、其音勢が亡《ナ》くなつてゐる。今を標準とすれば、勿論、花屋ではない、と言ふことは出来る。
しかし、音勢点の時代的移動や、熟語を作る際の抑揚移転を、考へに入れてかゝらぬ様な語原解釈は、無意味である。今の、あくせんと[#「あくせんと」に傍線]を標準とした此はなや[#「はなや」に傍線]の説明は、唯説明が出来ると言ふだけで、さうに違ひない、と言ふ証拠には、ちつともなつてはくれぬ。併し何にしても、家の為には花屋でなく、鼻屋であつた方がよいか、と思ふ心が、かう書いてゐる間にも、強く動いてゐる。
折口の降り口であることだけは、根来落ちと関係を切り放しても、確かさうである。金田一京助先生は、あいぬ語の ru−essan が、折口に当つてゐる、とわたしの家の名義の話を聴いた末に、言はれたことがある。又、近頃発表せられたあいぬ[#「あいぬ」に傍線]の詞曲「虎杖丸」の註釈で、
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るゑさん ruwessan, ru−esssan 道の出口(浜の大道へ出る口)の事なり。下《オ》り口の義なり。ru は道にて、essan の e は接頭語、san は出る意味なり。又下る意味なり。要するに、後方の高い処より、前方(浜)の低い方への運動なり(雑誌あらゝぎ[#「あらゝぎ」に傍線]大正七年六月号)。
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と説明して居られる。誠によく似た、語の出来ぐあひである。単に語族が一つだ、と言ふだけで、縁もゆかりもない、北の島人の語ばかりでなく、ほゞおなじ語を話し、兄弟の情を持ちあつてゐる我々の間には、勿論、同じ組織の語で、似た地形を表す事になつてゐる。
子どもの頃、よく印刷屋の表に立つて、為入《シイ》れの三文判の出《ダ》し箱に並んでゐる判の中から、折口とあるのを見つけようとして、折田・折目など言ふ姓に出逢ふばかりなのに、肩身狭い思ひのした事を覚えてゐる。古子姓を立てゝゐる、仲の兄進が、造士館高等学校の生徒で、まだ汽車の矢嶽を越えなかつた頃、薩摩領に入つたとある立て場で、馬車の窓から、折口と書い
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