久しい時間を勘定にいれないでかゝつてゐるのは、他の宮廷伝承の祝詞の古い物に対したとおなじ態度である。
「ふる川の向う岸・こちら岸に、大きくなつて立つてゐるみぬま[#「みぬま」に傍線]の若いの」と言うて来ると、灌木や禾本類、乃至は水藻などの聯想が起らずには居ない。時々は「生立」に疑ひを向けて、「水沼間」の字面の語感にたよつて、水たまり・淵などゝ感じる位に止まつたのは、無理もない事である。実は、詞章自身が、口伝への長い間に、さう言ふ類型式な理会を加へて来てゐたのである。
一番此に近い例としては、神功紀、住吉神出現の段「日向の国の橘の小門のみな底に居て、水葉稚之出居《ミツハモワカ(?)ニイデヰル》神。名は表筒男・中筒男・底筒男の神あり」と言ふのがある。此も表現の上から見れば、水中の草葉・瑞々しい葉などを修飾句に据ゑたものと考へてゐたのらしい。変つた考へでは、みつは[#「みつは」に傍線]は水走で、禊ぎの水の迸る様だとするのもある。
みぬま[#「みぬま」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]、おなじ語に相違ない。其に若さの形容がつき纏うてゐる。だが神賀詞に比べると「出居[#「居」に白丸傍点]」と
前へ 次へ
全48ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング