葉巻二)
[#ここで字下げ終わり]
天武の夫人、藤原[#(ノ)]大刀自《オホトジ》は、飛鳥の岡の上の大原に居て、天皇に酬いてゐる。此歌の如きは「降らまくは後《ノチ》」とのからかひ[#「からかひ」に傍点]に対する答へと軽く見られてゐる。が、藤原氏の女の、水の神に縁のあつた事を見せてゐるのである。「雨雪の事は、こちらが専門なのです」かう言つた水の神女としての誇りが、おもしろく昔の人には感じられたのであらう。藤井が原を改めて藤原としたのも、井の水を中心としたからである。中臣女や、其保護者の、水に対する呪力から、飛鳥の岡の上の藤原とのりなほして、一つに奇瑞を示したからであらうと考へる。中臣寿詞を見ても、水・湯に絡んだ聖職の正流の様な形を見せてゐる。中臣女の役が、他氏の女よりも、恩寵を得る機会を多からしめた。光明皇后に、薬湯施行に絡んで、廃疾人として現れた仏身を洗うた説話の伝つてゐるのも、中臣女としての宮廷神女から、宮廷の伝承を排して、后位に備るにさへ到つた史実の背景を物語るのである。藤原の地名も、家名も、水を扱ふ土地・家筋としての称へである。衣通媛の藤原郎女であり、禊ぎに関聯した海岸に居り、物忌みの海藻の歌物語を持ち、又因縁もなさ相な和歌[#(ノ)]浦の女神となつた理由も、稍明るくなる。
私は古代皇妃の出自が水界に在つて、水神の女である事並びに、其聖職が、天子即位甦生を意味する禊ぎの奉仕にあつた事を中心として、此長論を完了しようとしてゐるのである。学校の私の講義の其に触れた部分から、おし拡げた案が、向山武男君によつて提出せられた。其によると、衣通媛の兄媛なる允恭の妃の、水盤の冷さを堪へて、夫王を動して天位に即かしめたと言ふ伝へも、水の女としての意義を示してゐるとするのだ。名案であると思ふ。穢れも、荒行に似た苦しい禊ぎを経れば、除き去ることが出来、又天の羽衣を奉仕する水の女の、水に潜《カヅ》いて、冷さに堪へた事を印象してゐるのである。水盤をかゝヘたと言ふのは、斎河水《ユカハミヅ》の中に、神なる人と共に、水の中に居て久しきにも堪へた事をいふのらしい。やはり此皇后の妹で、衣通媛の事らしい田井中比売《タヰノナカツヒメ》の名代《ナシロ》を河部と言うた事などもおほゝどのみこ[#「おほゝどのみこ」に傍線]の家に出た水の女の兄媛・弟媛だつた事を示すのだ。
だが、衣通媛の名代は、紀には藤原部
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