めの山入りのような形をとった。これで今年の早処女《さおとめ》となる神女が定まる。男もおおかた同じころから物忌み生活に入る。成年戒を今年授かろうとする者どもはもとより、受戒者もおなじく禁欲生活を長く経なければならぬ。霖雨《ながあめ》の候の謹身《ツヽミ》であるから「ながめ忌み」とも「雨《アマ》づゝみ」とも言うた。後には、いつでもふり続く雨天の籠居を言うようになった。
このながめいみ[#「ながめいみ」に傍線]に入った標《シルシ》は、宮廷貴族の家長の行《おこの》うたみづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]や、天の羽衣ようの物をつけることであった。後代には、常もとりかく[#「とりかく」に傍点]ようになったが、これは田植えのはじまるまでのことで、いよいよ早苗をとり出すようになると、この物忌みのひも[#「ひも」に傍線]は解き去られて、完全に、神としてのふるまいが許される。それまでの長雨忌《ナガメイ》みの間を「馬にこそ、ふもだしかくれ」と歌われた繋《カイ》・絆《ホダシ》(すべて、ふもだし[#「ふもだし」に傍線])の役目をするのが、ひも[#「ひも」に傍線]であった。こういう若い神たちには、中心となる神があった。これら眷属を引き連れて来て、田植えのすむまで居て、さなぶり[#「さなぶり」に傍線]を饗《ウ》けて還る。この群行の神は皆簔を着て、笠に顔を隠していた。いわば昔考えたおに[#「おに」に傍線]の姿なのである。
底本:「古代研究※[#ローマ数字I、1−13−21]―祭りの発生」中央公論新社
2002(平成14)年8月10日発行
初出:「民族 第二巻第六号」
1927(昭和2年)年9月
「民族 第三巻第二号」
1928(昭和3年)年1月
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
※底本では「八 とりあげ[#「とりあげ」に傍線]の神女」の〔道主王は、稚日本根子大日々天皇の子(孫)彦坐王の子なり。一に云はく、彦湯産隅王の子なり。〕は二行に渡り小書きになっています。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年九月、三年一月「民族」第二巻第六号、第三巻第二号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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