さう言ふことになると、どちらが何といふことはないと思ひますけれども、日本紀でもすでにさうなので、万葉は歌謡の集成本だから信じない。これは国史だから編纂の動機が、もつと確実だ。さういふ、昔からの学問の態度は、いつまでも続いてゐるのに不思議はない。けれども大体さういふ風な考へ方で、史実の形をとつたものは眺められて来てゐるのです。万葉の方では、前にも言つた、天平十年説なのです。さういふ考へ方をする人も、続日本紀を見ると、こちらの方が本たうだと言ふことになる。併しこの事実は、事実に違ひないとしても、さう言ふ事実は、昔からある。それから其後にも起つて来た事柄なのです。即ち、類型的な事件であつたことでせう。決してなかつたことゝは言へないのです。
併しすでにその時万葉集が取扱つてをります歌を見ましても、石上朝臣と久米若売といふ形で、それを表はしてをります。さう言ふことを伝へるには、きまつて条件のやうなものがあつて、これ/\の事柄を伝へるには、一つの伝説の型によつて伝へようとする勢といふやうなものゝあることが考へられます。それを世間が受入れて、受入れる心は伝説的にものを考へ、扱ふ心であつた。だから伝説の胸に消化してしまつて、事実や事実を記録したものと思はれてゐる記録が、最平常な伝説型に直されて来る。一層《いつそ》事実らしいものがなかつたら伝説になつてしまふ所だつたのでせう。事実といふことより伝説の方が何回でも繰返すのですから伝説の世界に這入つた方が広く長い命を持つて来るわけです。謂はゞ伝説哲学とでも言ふべきものに這入つてしまふのです。
さてかういふ風に二つの書物に現はれてをりましても、二つについて我々が受ける印象といふものは、いづれも伝説的だといふことは言うて差支へないことだと思ひますし、恐らくその当時はつきりしたことを知つてをつた人々は、それを取巻いてゐる事件、更に遠い所にゐるといふ人達は、それと同じやうに起つた事件を伝説として取扱つてゐたに違ひないと思ひます。所がさういふことを万葉集から拾つて見ますと、いろいろな事柄が出て参りまして、それこそ枚挙にいとまもないわけですが、それで非常に似てゐることで違つた形を見せてゐること、これも名高い事実をかりて来た万葉集の初めの方にあります麻績《ヲミノ》王といふ人が、伊勢国の伊良虞の島に流された。伊良虞の島では外から見た地形に、はつきり別々の
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