傍線]などは来と書いて居る。即、其時分の考へで、語尾を漢字で現してゐるのであるから、一応道理である。又、誰もさう考へたのである。併し、意味の訣つてゐないものがある。一音だからく[#「く」に傍線]は来るであらうが、かく[#「かく」に傍線]・とく[#「とく」に傍線]などのく[#「く」に傍線]は訣らない。これは語根が屈折して出て来るのだが、今までは統一的の事実を予期して語尾を使つたとする、所謂一音に一義を認める音義説である。更に進むと、母音と子音とに又意味を求めて行くのである。橘守部は、言葉の研究には非常に優れて居たが、語尾の点では何時も此考へに深く陥つて居る。
接頭語が無意味である如く、語尾は無意味なものであつて、語根を動かすに過ぎない、と言ふ考へは捨てなければならないと思ふ。意味あると考へ過ぎるのも、又無意味だと考へるのもよくないのである。い[#「い」に傍線]・ぬ[#「ぬ」に傍線]或はく[#「く」に傍線]の語根意識は全然誤つてゐるとは言へないのであつて、此は或期間を経て、さう言ふ語尾の組織が出来て来た、即或時期以後の語尾の形だと見るのがよい。語根と語尾の関係も、熟語を作る場合の語根の形か
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