り上げる。脛ばきのはゞき[#「はゞき」に傍線]の原形は、此である。はゞき[#「はゞき」に傍線]の裾の下肢を括る処ばかりに作つた脚絆を、はゞき[#「はゞき」に傍線]といふ様になつて、さしぬき[#「さしぬき」に傍線]と改名した。
「脛にあげて」も、裾をまくり上げて、上肢の陰し処に近くからげるのだ。
常は、丁・丁女が、素足を隠すからだ。「はゞき裳」が、此であつて、下裳の上の表裳だから、おすひ[#「おすひ」に傍線]裳である。ひも[#「ひも」に傍線]は、ひも[#「ひも」に傍線]の緒の略らしい。正しくは、ひものを[#「ひものを」に傍線]である。ひれ[#「ひれ」に傍線]・ひらみ[#「ひらみ」に傍線]・褶を通用するのを見ると、頸越しに、爪先よりも長く垂れたので、ひらおび[#「ひらおび」に傍線]とするのは、後の民間語原説である。み[#「み」に傍線]は裳であらう。ひれ[#「ひれ」に傍線]・ひら[#「ひら」に傍線]は、ひかゞみ[#「ひかゞみ」に傍線]から出たひな[#「ひな」に傍線]の転のひら[#「ひら」に傍線]であらう。ひらみ[#「ひらみ」に傍線]が、ひれ[#「ひれ」に傍線]になつてゐるのだ。ひれふす[#「ひれふす」に傍線]のひれ[#「ひれ」に傍線]も平ではない。鰭も、はた[#「はた」に傍線]の先をいふのである。
向ばきは元、前だけ掩うたからか。「向脛に……」は此から出たか。早処女の前を示さぬ様らしい。此が後に、ひらみ[#「ひらみ」に傍線]となる。
「ひれ[#「ひれ」に傍線]かくる伴の緒」といふのは、采女・舎人・隼人等を斥したのである。舎人は、武官となつて、ひれ[#「ひれ」に傍線]を、形式にもつけなくなつたのだ。襲衣から分れぬ先のひれ[#「ひれ」に傍線]は、襲衣その物で、頭から被つて、前身を隠す様に垂れたのだ。だから殆、裸体である。槻の葉の散つたといふのは、実は、襲衣に「月経《ツキ》」のついてゐる事を歌うたのだ。誤解である。やまとたける[#「やまとたける」に傍線]と雄略とでは、こんなに違うて来たのだ。
槻の木は、月経その他の場合にこもる、つきごもり[#「つきごもり」に傍線](晦日の語原)の屋の辺に立つてゐたのだ。斎槻も其だ。「長谷のゆつきの下に」つま[#「つま」に傍線]を隠すといふのも、槻屋に籠らしたのだ。物忌みの為の、別屋である。月経を以て、神の召されるしるし[#「しるし」に傍線]と見なして、月一度、槻の斎屋に籠らしたのだ。
神まつる屋は、すべて槻その他の木の下に作つた。こゝに月経の日を仕へるのを忘れて、月経の日に、忌みに籠る屋の様に考へたのだ。
月のはじめは、高級巫女の「つきのもの」の見えた日を以てした。月の発つ日で、同時に此が「つきたち」である。神の来る日が、元旦であり、縮つては、朔日であると考へた。
「はしり出」は、はしり[#「はしり」に傍線]出居で、戸を全部閉ぢた様にした、出居である。神迎へに出居る屋で、其上には、槻の木があつたのだ。昔の歌に、槻の歌の多いのは、槻屋の印象である。
「はなち出」は、戸ざしのない出居である。
「月読めばいまだ宵なり」・「この月ばかり」など、つき[#「つき」に傍線]といふ語には、聯想が多かつたのである。「月たちてまだ三日月の眉根かき」なども、三日月眉をいふのは、後世の技巧で、下には、古い修辞法「月経の日からまだ三日」といふ義を含んで、「眉根かき」が利くのだ。
「天ゆく月を綱にさし」も、月の蓋の外に、巫女の月ごもりなるものを、此新室の葛根もてする如く徴《サ》して、おのが者として、かづき臥し給ふといふので、床入り際の歌である。恐らく、皇子尊の新婚の褄屋の歌であらう。
業平の歌の「まだきも月のかくるゝか」にも、此風は廃れても、宴会の正座の人の床入りには、月を以て祝する風を、伝へてゐたのである。
「国栄えむと月は照るらし」も、転じて、殿ほぎに月を出したので、此夜は、主上・高級巫女同床せられるのだ。此日寓る御子を、神の子として、日つぎの御子の一人とせられるのだ。
殿は、安殿《ヤスミドノ》である。此日の行事を、神として、神女と、「やすみ(しゝ)せす」といふ。神事の最上であつて、神として、地上に暫し止りたまふ義である。平安朝の御息所は、御子を生んだ為、みやすみ所に侍り得るものとしたのだ。安殿は、寝殿即正殿である。後に清涼殿が、其となつた。
寝ることのやすむ[#「やすむ」に傍線]は、だから、およる[#「およる」に傍線]などの古い時代から残つたのだ。「安寝」は条件として、同床がある。安見子は、采女の名でなく、古くから、御息所の素地が出来てゐたことを示す語で、天子の、一度倖せられた女子を言うたのだ。村上の中宮を安子といふのは、既に「やすむ」の語義を忘れた為か、或は普通名詞の「やすみ」子を、中宮にも用ゐてゐたのか。
月読命の大食津媛を殺したのも、月はまれびと[#「まれびと」に傍線]だからだ。
すさのを[#「すさのを」に傍線]の場合は、阿波に下つたのだ。
保食神が、牲をつき[#「つき」に傍線]の血でけがしたのだらう。
安殿皇子の平城帝も、あで[#「あで」に傍線]でなく、やすみどの[#「やすみどの」に傍線]の皇子として、御湯殿に対する名の最後らしい。
「やす」といふ語根は、神の降り留る義で、八十といふ語には、その聯想が伴ふのである。其から、神事の人々の数を数へるのに使ふ。崇神紀の八十伴緒・八十物部・八十神などが古い。神の来てゐる間の、接待者の状態を言ふ様になつては、痩すとなり、やせうから[#「やせうから」に傍線]の転のせがれ[#「せがれ」に傍線]が、やつがれ[#「やつがれ」に傍線]とも、せがれ[#「せがれ」に傍線]ともなる。
八瀬の里人は、このやせ[#「やせ」に傍線]の語意から考へられたらしい。地方神事に「おやせ」といふのが出るのも、此だ。やつる[#「やつる」に傍線]・やつす[#「やつす」に傍線]のやつ[#「やつ」に傍線]も、此転音である。やつこ[#「やつこ」に傍線]も、家つ子と言ふより、此やす子かも知れぬ。痩男の細男と、聯想のあるのも此だ。やしよめ[#「やしよめ」に傍線]も、八瀬女でなければ、やせよめ[#「やせよめ」に傍線]である。神事に与る善女《ヨメ》であつて、桂あたりの販婦である。
安来・野洲川・八十橋など、皆神天降を言ふらしい。八十橋などは、天八十人をいふのは、合理的である。安井も天降井である。
やす[#「やす」に傍線]はふやす[#「ふやす」に傍線]などゝ、関聯して考へられてゐる。性的神事だからである。
やしなふ[#「やしなふ」に傍線]も、此か。神を湯・乳・飯で、居させ育み奉るのである。
安御食・安みてぐらには、増殖の義があるのだらう。埴安池・埴安彦などの名義は、土を水でやしなひ置くと共に、国土が拡がると見たのだ。埴安池の土を取つて、此を様々の象徴に作れば、当方が勝つ。埴安彦も其で、此を亡して、倭宮廷の力が増した。
やす[#「やす」に傍線]・やすら[#「やすら」に傍線]・やすむ[#「やすむ」に傍線]は、客神の新室に居てゑらぐ満悦の辞である。寿詞にも、其状を予期して祝する。
「うらやす《心安》の国」は、国ぼめの語で、八十島・八十国は、祝福を籠めていふのだ。大八洲も、やし[#「やし」に傍線]の音に、よい語感があるのだ。
「やさし」は、痩の形容詞でなく、客神に対して、心和いだ様をいひ、又自ら来臨を迎へ恥づる両義がある。
つくも髪は、産屋髪で、物忌みの髪形だ。経喪《ツクモ》髪である。俤に見ゆの序で、慣用から来た誤解であらう。かげ(蘿)にかけてゐた。日かげのかづら[#「日かげのかづら」に傍線]をかけるからである。百年に一年足らぬとは、つくも[#「つくも」に傍線]の枕詞ではない。だから当然九十九の意ではない(百は違ふ。つゞ[#「つゞ」に傍線]で十九或は、九十九か)。百年に満ちて亡びるのでなく、常に一年足らず伸びゆく、此槻の屋のつくも[#「つくも」に傍線]草を葺いた新屋の中の、月忌髪の巫女の頭の日蘿ではないが、彼の人、我に焦れてゐるに違ひない。幻に現れたといふのだ。
つくも[#「つくも」に傍線]には、采女・巫女たちの神室の作物《ツクモ》する髪を言うたのか。
熊野と、出雲と。
常世と、死の島と。
死人の三山詣り。
妙室山。
死者蘇生の地。
霊の寄集地。
樒の一本花を持参。女になつた証拠。
鉛山。
峰の湯・海際の湯。
をち水求めの天子。
王子詣で。馴子舞。
東海道を説くのは、王子巡拝の最初を示すのだ。
其は、王子斎祀の地点定まらぬ、昔を語るのが元だ。三島郡の小栗の社。
車引き。景事全盛時代の色あげ。
熊野参詣道中の歌。
千引き系統の恋人に牽かれる話の種。万屋の門で動かなくなつたのだ。
千引きの巫女姿。
木やり・石挽き・たゝら唄・どうづき唄。
石挽きと、穴太役と。六条・名越と、たゝら[#「たゝら」に傍線]踊りと。
仏体勧進・仏像鋳造・開眼供養。
御手・御胴勧進の仏曳き。
来世を見て来た人の信仰。
来世から生れ替つて来た鳥・獣・人間の因果話。
来世話をする異形の病人。
此に代つて、物語る因果物師。
大和詞。
浄るり十二段系統。
歌占巫女の語彙。
歌比丘尼の艶書代筆。
藤沢寺。
大草紙の新しい書き入れ。
念仏を離れて、説経へ。
本地物の古態。
初段、貴種流離の原因。
最後は人間として、栄える。
まだ、説経化しきらぬ物。
巫女祭文(山伏の手を通らぬ)。
盲僧の説経。
神事舞ひの宣命。
厩ぼめ及び示威。
後には、馬おさへを忘れて了ひ、巫女祭文の色濃くなる。
東国の人の物語からはじまつた。其後、熊野や藤沢がついてゐる。
念仏聖・神明巫女・歌比丘尼の熊野代参慫慂。
当麻(小本拠)藤沢から――熊野(大本拠)へ。
融通念仏・時衆念仏の差。
念仏踊りの屋敷ぼめ・厩ぼめ。
因果物語附著。
藤沢縁起。念仏功徳。
武士発心譚の系統。懺悔物。
熊谷・教信……。
ひいき多い判官の名称。
悲運の武士と、後に残る女性。比丘尼のざんげ。
(小栗) ┌万歳→山伏
1 馬宣命――神事舞ひ┤幸若
└盲僧
(照天)
2 巫女祭文――(神明)
大和当麻縁起。
3 当麻の無量光院開基。
(念仏聖)
時衆の妻としての照日(親鸞の妻)。
妻は巫女。夫は神。
↓
妻は憑尸。夫は審神者。
↓
┌歌念仏 ┌念仏
妻は┤浄るり 夫は┤
└歌説経 └説経
4 熊野参詣。功徳唱導。
5 王子の本縁。
6 藤沢寺縁起。
7 支那小説の飜案(水滸伝)。
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底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
1930(昭和5)年6月20日
初出:「民族 第四巻第三号」
1929(昭和4)年4月
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年四月「民族」第四巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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