津媛を殺したのも、月はまれびと[#「まれびと」に傍線]だからだ。
すさのを[#「すさのを」に傍線]の場合は、阿波に下つたのだ。
保食神が、牲をつき[#「つき」に傍線]の血でけがしたのだらう。
安殿皇子の平城帝も、あで[#「あで」に傍線]でなく、やすみどの[#「やすみどの」に傍線]の皇子として、御湯殿に対する名の最後らしい。
「やす」といふ語根は、神の降り留る義で、八十といふ語には、その聯想が伴ふのである。其から、神事の人々の数を数へるのに使ふ。崇神紀の八十伴緒・八十物部・八十神などが古い。神の来てゐる間の、接待者の状態を言ふ様になつては、痩すとなり、やせうから[#「やせうから」に傍線]の転のせがれ[#「せがれ」に傍線]が、やつがれ[#「やつがれ」に傍線]とも、せがれ[#「せがれ」に傍線]ともなる。
八瀬の里人は、このやせ[#「やせ」に傍線]の語意から考へられたらしい。地方神事に「おやせ」といふのが出るのも、此だ。やつる[#「やつる」に傍線]・やつす[#「やつす」に傍線]のやつ[#「やつ」に傍線]も、此転音である。やつこ[#「やつこ」に傍線]も、家つ子と言ふより、此やす子かも知れぬ。痩男の細男と、聯想のあるのも此だ。やしよめ[#「やしよめ」に傍線]も、八瀬女でなければ、やせよめ[#「やせよめ」に傍線]である。神事に与る善女《ヨメ》であつて、桂あたりの販婦である。
安来・野洲川・八十橋など、皆神天降を言ふらしい。八十橋などは、天八十人をいふのは、合理的である。安井も天降井である。
やす[#「やす」に傍線]はふやす[#「ふやす」に傍線]などゝ、関聯して考へられてゐる。性的神事だからである。
やしなふ[#「やしなふ」に傍線]も、此か。神を湯・乳・飯で、居させ育み奉るのである。
安御食・安みてぐらには、増殖の義があるのだらう。埴安池・埴安彦などの名義は、土を水でやしなひ置くと共に、国土が拡がると見たのだ。埴安池の土を取つて、此を様々の象徴に作れば、当方が勝つ。埴安彦も其で、此を亡して、倭宮廷の力が増した。
やす[#「やす」に傍線]・やすら[#「やすら」に傍線]・やすむ[#「やすむ」に傍線]は、客神の新室に居てゑらぐ満悦の辞である。寿詞にも、其状を予期して祝する。
「うらやす《心安》の国」は、国ぼめの語で、八十島・八十国は、祝福を籠めていふのだ。大八洲も、やし[#「やし」に傍線
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