はむや――其駒
さゝ(ひ)のくま 日前《ヒノクマ》川に駒とめて、しばし飲《ミヅカ》へ。かげをだに(我よそに)見む
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[#地から2字上げ]――古今集 昼目

又、

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いづこにか 駒をつながむ。あさひこがさすや 岡べのたま篠のうへに。たま篠のうへに
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[#地から2字上げ]――神楽 昼目
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此岡に 草刈る小子《ワクゴ》。然《シカ》な刈りそね。ありつゝも 君が来まさむ御馬草《ミマクサ》にせむ――万葉巻七
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類例は、煩はしい程ある。我々は昔から唯の処女が、恋人を待ち兼ねての心いそぎの現れと見て、単にいぢらしいものゝ類型と考へて来た。だが古い思案はちよつと待て、と云ひたくなる。私どもの長く最親しい同伴者西角井正慶君の新著「神楽研究」は劃期的の良書である。此章では、暫らく西角井君と二人分しやべらして頂くつもりである。神楽の「昼目歌」は、勿論其直前の「朝倉」に引き続いての朝歌である。詳しく言へば、吉々利々《キリキリ》で、明星《アカボシ》を仰いで、朝歌は初まるのである。さうして、実はもう朝倉だけで、神楽は夜の物の、「遊び上げ」になつてよいのである。だから、其を延長したものとして、昼目歌が続く訣である。御覧のとほり、昼目・其駒、実質的には変りはない。其他に、本によつて、色んな歌のついて来るのは、「名残り遊び」で、庭|浄《ギヨ》めに過ぎない。即、朝倉・昼目・其駒、一つ物の分化したゞけに過ぎないので、神楽は実に、茲きりの物だつたのだらう。此等を通じて見える精神は、「神上げ」であり、「名残惜しみ」に過ぎない。だから、神の乗り物の脚遅からむことを望むことが、同時に神を満足させる事になるのである。神送りはいづれも、さうするのであつた。だから、駒を主題として、「おなごり惜しの。また来て賜れ」の発想を、古今集の神楽《カミアソビ》歌の「さゝのくま」では、名残り惜しみの義に片寄せて用ゐて居たのだ。神楽のは、「つながむ」で其が示されて居るつもりで謡はれたのだらうが、全体としては、神讃めと言つた形に近い。さうして何だか支離滅裂な気分歌である。万葉のは、待つ間のある一日の感懐と言ふやうに見えるが、ほんたうならば、こんな表現はしない筈である。段々類型が偏傾を生じて、かうさせたのである。若しも之を
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