近い距離に、構へられる様にもなつた。其為こそ、伝襲的に愈々盛んになつた文学上の題目、海士《アマ》や山賤《ヤマガツ》の生活があつたのである。後に段々、単に文学者の優美に触れるものとしてよりか、扱はれなかつたとしても、言語伝承として、其形骸だけでも久しく存続した訣なのだ。此意味のものも、最古い姿においては存外、邑落自身の民の派出して生じたものと見られるのである。つまり祭祀の時の神として来向ふ若干の神人が、臨時に山中・海島に匿れて物忌みの後、神に扮装《ヤツ》して来ると言ふ風が、半定住の形を採つたのである。即、さうした里離れた地における隔離生活が、段々延長せられて行つて、遂にはある邑落に関聯深い特殊な儀礼奉仕の部落が成立する様になる。とゞのつまり、祭儀の為の奴隷村と言つた形を採つて、村同士の関係が固定したまゝ、永続する様になつて行く。而も更に次に言はうとする形の団体と、部落以外の人からは同一視せられて、邑落との関係が、非常に自由になつて行く。数個の邑落と交渉を生じ、更に幾つとも知れぬ檀那《パトロン》村を生じて、祝福を職業とする乞食者《ホカヒビト》となつて行つたものもある。だから実際は、山部《ヤマベ》・海部《アマベ》の種族と言ふでふ、元日本民族の分岐《エダモノ》者であつたのが、多いのではないかと思ふ。さうして其を逆に、俘虜・新降の徒《トモガラ》、即異神を奉じて、其力を以て、宮廷及び地方的権威者を祝福するものだ、と信じられる様になつたものゝ方が、多かつたのではないかと考へる。
第三は、真の旅行団体、巡游伶人とも言ふべきものである。此こそ今挙げたものと、前後の関係を交錯して居るのである。判然と言ひわける事は、却て不自然で、謬つた結果に陥る訣なのである。先住民或は、後住族が、何時までも国籍を持つことなく、移動をくり返す事、あまりに古代日本中心民族と、生活様式を異にして居た。さうして、その訪問する邑落の範囲は、極めて広く遠く及んでゐた為に、中世武家盛んなる時に及んで、漸く人中に韜晦して了ふものが出来ても、尚その落伍者は、過去千年以前からの流転の形を保つて居た。さうして今も恐らくは、さうした種族の後と思はれる者が、南島の海士の中に、又旧日本の山伝ひをする剽悍な部族として残つてゐるものと考へられて居る。
古代からの素朴な考へ方からすれば、此形式のものばかりを考へてゐたのである。現実に存在
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