事と思ふ。
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椎柴に 幡《ハタ》とりつけて、誰《タ》が世にか 北の御門《ミカド》と いはひ初《ソ》めけむ――北御門の末歌
三島木綿肩にとりかけ、誰が世にか 北の御門と いはひそめけむ――本
八|平盤《ヒラデ》を手にとり持ちて、誰が世にか 北の御門と いはひ初めけむ――末
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此後の二首は普通は、下の句は「我韓神のからをぎせむや」となつてゐる。どちらかが替へ文句である。全体から見て訣るやうに、韓神の歌の下の句の自由性を模倣し、上句をその儘にしておいたのが「北御門」の伝文の方らしい。即、替へ歌である。韓神の歌を転用して居る点から見ても、――却て近い関係を説く論理もなり立ちさうだが――韓神とは、別の遊行神に属する神楽だと思はれる。
神楽はその奏上次第から見て、正しく宮廷外の神の練道芸能である。つまり一種の野外劇になつて行く傾向を示してゐる。だが、偶然、日本の神事の特色として、大家《オホヤケ》に練り込むと言ふ慣例のあつたのに引かれて、謂はゞ「庭の芸能」と言ふ形を主とする事になつて行つた訣だ。だから此形の外に、ぺいぜんと[#「ぺいぜんと」に傍線]の形式を採つた部分もあつた事が、辿れるやうになる事と思ふ。さすれば、踏歌や、田楽と極めてよく似て居て、唯、ある差異があつたと言ふ事になる。即、神楽では、謡ひ物としては、短歌形式が主要視せられた事が、其一つである。其二は、古くから「神遊び」と称せられてゐたものに似て居て、同一の見方に這入ることが出来た事、さうして其が其特徴たる「かぐら」の名を発揮して来たこと。だから最初「かぐら神楽《カムアソビ》」など言ふ名で呼ばれて居た事を考へて見る方が、古態を思ひ易くてよい。第三は、其巡行の中心として所謂「かぐら」なるものが行進の列に加つて居た事。さうして其|神座《カグラ》に据ゑた神体が、異風なものであつたらしい事。さうして、其|神座《カグラ》に居る神の実体は、後の神楽には、閑却せられて了ふ様になつたらしい。だから神楽も、古いものほど、神体を据ゑた神座《カグラ》なるものを中心とした群行だつたに違ひない。神楽では、安曇[#(ノ)]磯良を象つた鬼面|幌身《ホロミ》の神楽獅子に近いものだつたのではないか。
才《サイ》[#(ノ)]男《ヲ》が、宮廷以外は、多く人形を用ゐたらしい処から見ると、神楽の形も想像が出来ると思
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