は、さうした部類に入るものが尠くない。古今以前の在民部卿家歌合せなどを中に据ゑて見れば、歌合せの固有種子なる事はわかる。天徳のを女房歌合せと言ふ訣は、後宮方の歌合せなる事を露《あらは》にして言はねばならぬ理由のあつた為なのだ。
当時公卿等は、流行の詩合せに専心になつて、歌合せを顧みなくなつて居た。それ故《ゆゑ》行うた女房の中からも、読人・方人《カタウド》を出して、男歌人に立ちまじらせた歌合せ――七条後宮歌合せ・亭子院歌合せなど――は、かうした流行に圧されて行つた。其為、かうした催しが、後宮から発起せられて、左右の頭《トウ》を更衣級から出し、方人《カタウド》に女房を多く列せしめた。競技者たる読人の中にも、女房が立ち交つてゐる。だから女房ばかりの歌合せの意ではなく、後宮の人たちが亭主となり、興行者となつて、催したと言ふ義であつた。
七条後宮歌合せや、中興の此歌合せが先例を作つて、歌合せの本格は、女房の興行によるもの、と思ふ様になつて来たらしい。其で、主催者たる家あるじは、女房のつもりで居り、読人に立つ時は、表面、名は「女房」と清書させた、と言ふ事情も考へられる。
要するに、尊貴が亭主たる場
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