其が技巧上の常套手段として明らかに認められて来たのは、平安中期の日記歌隆盛の時代だつたのである。
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あしびきの山の雫に、妹待つと、われ立ち濡れぬ。山の雫に(大津皇子――万葉巻二)
我《ワ》を待つと 君が濡れけむ あしびきの山の雫にならましものを(石川郎女――万葉巻二)
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此唱和は、鸚鵡返しの無技巧と、別方法で、同じ効果を収めてゐる。唯、最後の「ならましものを」一句で、全然思ひがけぬ方面へ転じてゐる。一種の本歌の導きである。古今集の本歌どりの技巧は、万葉のとは変つて来た。
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世の中は何か常なる。飛鳥川 きのふの淵ぞ、今日は瀬になる(読人知らず――古今巻十八)
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を返して、
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飛鳥川 淵にもあらぬ我が宿も、せに変りゆく物にぞありける(伊勢――古今巻十八)
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と言つた風にしてゐる。が、大体は後の本歌とは違ふ。万葉は、もう人には知れなくなつたので、近代様にすると言ふ所に、飜訳の技巧を示す積りだつたのだらう。此は随分数が多い。
奥義抄に盗古歌として挙げてゐる類
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