引用する風が起つてゐた。其がかうじて、近世の人の名高い作品や、歌合せなどの読み捨てや、同僚の作物まで、浮ぶまゝにとり入れる様になつた。すべて口疾さと、人の考へつかぬ作物まで利用する技巧を誇るのである。其外に、相手の歌の一部分をとつて和する歌の形なども、確かに其導きである。当時有名であつて、家集・選集・歌合せの記録に登らずに了うた歌も、本歌に引かれてゐる訣だ。出典不明の歌はおほく此類である。かうした風が、宮廷女流から、歌合せ・贈答などを媒介にして、公卿殿上人の間にも感染して行つた。此が、物語の歌にもとり入れられる。歌合せの如き、技巧の問題を主とし、而も多少場当りの許される会合への出詠には、段々本歌式の歌が出て来る。かうして、本歌のとり方に巧拙を競ふ様になる。さうした傾向が序歌系統の修辞法に入る。詩の故事を含む形で、本歌をとり込む様になる。
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よき人のよしとよく見て、よしと言ひし 吉野よく見よ。よき人よ。君(天武天皇――万葉巻一)
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此は必、昔あつた吉野の国ぼめの歌、或は呪詞を考へてゐるのだ。かうした飛鳥末の御製にも、本歌の起る兆は見えてゐた。其が技巧上の常套手段として明らかに認められて来たのは、平安中期の日記歌隆盛の時代だつたのである。
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あしびきの山の雫に、妹待つと、われ立ち濡れぬ。山の雫に(大津皇子――万葉巻二)
我《ワ》を待つと 君が濡れけむ あしびきの山の雫にならましものを(石川郎女――万葉巻二)
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此唱和は、鸚鵡返しの無技巧と、別方法で、同じ効果を収めてゐる。唯、最後の「ならましものを」一句で、全然思ひがけぬ方面へ転じてゐる。一種の本歌の導きである。古今集の本歌どりの技巧は、万葉のとは変つて来た。
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世の中は何か常なる。飛鳥川 きのふの淵ぞ、今日は瀬になる(読人知らず――古今巻十八)
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を返して、
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飛鳥川 淵にもあらぬ我が宿も、せに変りゆく物にぞありける(伊勢――古今巻十八)
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と言つた風にしてゐる。が、大体は後の本歌とは違ふ。万葉は、もう人には知れなくなつたので、近代様にすると言ふ所に、飜訳の技巧を示す積りだつたのだらう。此は随分数が多い。
奥義抄に盗古歌として挙げてゐる類は、皆飜作である。
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掬《むす》ぶ手の 雫に濁る山の井の あかでも 人にわかれぬるかな(貫之――古今巻八)
掬ぶ手の 石間をせばみ 奥山のいはがき清水 あかずもあるかな(人麻呂――万葉とあるが、実は、古今六帖)
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貫之の歌は人麻呂に対して、既に一種の本歌意識を持つて居たらしい。此技巧の洗煉せられて来たのは、女房の力であつた。平安中期になると、本歌の部分も、すつかり融けこんだ姿を持つた。挿入句として孤立してきはだつて見えたものが、却つて曲折となり、しなやかな弾力を感じさせた。外形に調和した本歌は、内容としては即かず離れず軽い様で、効果は却つて重かつた。
新古今になると、本歌を自在に駆使する一方、本歌に飽いて来た傾きが見える。前の一面では、本歌を思ひ当てなくても、一通り意味は訣り、或は感ぜられる様に、歌全体をしたてるのが、最進んだ態度である。が一方には、本歌入りの句の、全体に与へる曲折に感じ馴れた気分性を利用した。歌の一部を急転させて違つた意義を導いたり、前句との連続に意義の上に軽い渋滞を感じさせて置いた上、読者の習性を利用して、纔《わづ》かに、かけ語や、語感を契機に飛躍させる。此訣つた様な訣らぬ様なあり様に、つきはなして了ふ。気分では覚つても、描写追求性からは解決がつかないまゝである。かうした間に、余韻と言ふより寧、象徴性の暗示をば感じさせようとした。
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頼めずは、人をまつちの山なりと、寝なましものを。いざよひの月(太上天皇――新古今巻十三)
年もへぬ。祈る契りは、はつせ山。尾のへの鐘のよそのゆふぐれ(定家――新古今巻十二)
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かうした気分本位の歌風を、幽玄体の極致と考へて行つたらしい。
尚二つの観察点がある。其は、王朝末になつて激増した託宣・夢想などに現れた神仏の御作と伝へられたものゝ影響である。神祇・釈教歌の歌類を立てさせたのは此が主因で、副因としては、隠者の歌を導いた寺家の歌風の流行にある。託宣の歌は、どこかに意味不徹底の語があつたり、おほまかなしらべ[#「しらべ」に傍線]の内に、人を寛けさと憑《たのも》しさに導く気分性がある。
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なほたのめ。しめぢが原のさしも草。われ世の中にあらむ限りは(釈教歌――新古今巻二十)
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と言ふ清
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