れば、日没の頃を択ぶがよい。日は両峰の間に俄《にわ》かに沈むが如くして、又更に浮きあがって来るのを見るであろう。
もし韋提希夫人が行する日想観に当る如来像を描くとすれば、やはり亦波間に見える島山の上に、三尊仏をおくことであろう。そうした大水の、見るべからざる山の国では、どうしても、山の端に来り臨む如来像を想見する外はなかったのである。
相摸国《さがみのくに》足柄上郡三久留部氏は、元来|三廻部名《みくるべみょう》に居た為に称した家名で、又|釈迦牟尼仏《しゃかむにぶつ》とも書いて、訓は地名・家名の通りである。恐らくその地にあった仏堂の本尊の名の、顕れた為にさよう訓《よ》んだものだろうとせられている。併し、ここに一説がある。と言うことは、釈迦三尊においても、阿弥陀像の場合のように、やはり拝まれた場合の印象が、そうした特異事情を醸し出したのではなかろうか。即、目眩《めくるめ》く如く、三尊の光転旋して直視することの出来ぬことを表す語とも見られるのである。即みくるべ[#「みくるべ」に傍線]はめくるめ[#「めくるめ」に傍線]又は、めくるめき[#「めくるめき」に傍線]であろうと思うのは誤りか。或は歴史地理の説明にも少し骨を折れば、この考えなどは、忽《たちまち》消え失せるものかも知れぬ。が、あまり原由近似なるが故に、試みに記しておく。
私の女主人公|南家《なんけ》藤原|郎女《いらつめ》の、幾度か見た二上山上の幻影は、古人相共に見、又僧都一人の、之を具象せしめた古代の幻想であった。そうして又、仏教以前から、我々祖先の間に持ち伝えられた日の光の凝り成して、更にはなばなと輝き出た姿であったのだ、とも謂《い》われるのである。
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
初出:「八雲 第三輯」
1944(昭和19)年7月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年2月15日作成
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