ふ。
大串純夫さんに、来迎芸術論(国華)と言ふ極めて甘美な暗示に富んだ論文があつて、この稿の中途に、当麻寺の松村実照師に示されて、はじめて知つたのだが、反省の機会が与へられて、感謝してゐる。此には、山越し像と、来迎図との関聯、来迎図と御迎講又は来迎講と称すべきものとの脈絡を説いて、中世の貴族庶民に渉る宗教情熱の豊けさが書かれてゐる。唯一点、私が之に加へるなら、大串さんのひきおろした画因――宗教演劇にも近い迎へ講の儀式の、芸術化と言ふ所から、更にずつと、卸して考へることである。
山越し像において、新しいほど、御迎講の姿が、画因に認められるのに、古いほど却て来迎図の要素たる聖衆が少くなつて、唯の三尊仏と言ふより、其すら脇士なるが故に伴うてゐるだけで、眼目は中尊にあると言ふ傾向がはつきり見えるのは、其が唯阿弥陀三尊に止るなら、問題はない。阿弥陀像には、自ら約束として、両脇士の随ふものなのだから。ところが、之に附随して山の端の外輪が胸のあたりまで掩うてゐることになると、さう簡単には片づかぬ。常に来迎が山上から、たなびく紫雲に乗つて行はれ易いと考へたにしても、画面は必しも、其ばかりではない。

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