事も、今は消え方になつてゐる。
そんなに遠くは行かぬ様に見えた「山ごもり」「野あそび」にも、一部はやはり、一[#(个)]処に集り、物忌みするばかりでなく、我が里遥かに離れて、短い日数の旅をすると謂ふ意味も含まつて居たのである。かう言ふ「女の旅」の日の、以前はあつたのが、今はもう、極めて微かな遺風になつてしまつたのである。
併し日本の近代の物語の上では、此仄かな記憶がとりあげられて、出来れば明らかにしようと言ふ心が、よほど大きくひろがつて出て来て居る。旅路の女の数々の辛苦の物語が、これである。尋ね求める人に廻りあつても、其とは知らぬあはれな筋立て[#「筋立て」に傍点]を含むことが、此「女の旅」の物語の条件に備つてしまうたやうである。
女が、盲目でなければ、尋ねる人の方がさうであつたり、両眼すゞやかであつても行きちがひ、尋ねあてゝ居ながら心づかずにゐたりする。何やら我々には想像も出来ぬ理由があつて、日を祀る修道人が、目眩《メクルメ》く光りに馴れて、現《ウツ》し世の明を失つたと言ふ風の考へ方があつたものではないか知らん。
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拝んで居た郎女が、何時か自《
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