だ。こんな事をわざ/\書いておくのは、此後に出て来る数[#(个)]条の潜在するものゝはたらきと、自分自身混乱せぬやう、自分に言ひ聞かせるやうな気持ちでする訣である。
称讃浄土仏|摂受経《セフジユギヤウ》を、姫が読んで居たとしたのは、後に出て来る当麻曼陀羅の説明に役立てようと言ふ考へなどはちつともなかつた。唯、この時代によく読誦せられ、写経せられた簡易な経文であつたと言ふのと、一つは有名な遺物があるからである。ところが、此経は、奈良朝だけのことではなかつた。平安の京になつても、慧心僧都の根本信念は、此経から来てゐると思はれるのである。たゞ、伝説だけの話では、なかつたのである。
此聖生れは、大和葛上郡――北葛城郡――当麻村といふが、委しくは首邑当麻を離るゝこと、東北二里弱の狐井・五位堂のあたりであつたらしい。ともかくも、日夕二上山の姿を仰ぐ程、頃合ひな距離の土地で、成人したのは事実であつた。
こゝに予め言うておきたいことがある。表題は如何ともあれ、私は別に、山越しの弥陀の図の成立史を考へようとするつもりでもなければ、また私の書き物に出て来る「死者」の俤が、藤原南家郎女の目に、阿弥陀仏とも言
前へ
次へ
全33ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング