っている。そう言う道を通って、二十町も登ると、高湯とは別な湯元がある。小さな湧き場だが、お釜と言って、三山の湯殿山を思わせる様な恰好で、温泉が岩伝いに落ちて居る。此湯は、里人が神聖がって居たのだけれど、やはり白部の村人が、これを引いて湯宿を開いている。お釜の二町程下に、二階屋のあぶなく立って居るのが其だ。新高湯と言う。高湯から歩いて登るのにちょうど頃合いなので、三度もやって行った。宿の女年よりと知り合いになって、色々な山の菜を出して貰った。漬け物部屋までついて行って、説明を聞いたりしたものである。あいこ[#「あいこ」に傍点]・どほな[#「どほな」に傍点]・みずぶき[#「みずぶき」に傍点]・ごうわらび[#「ごうわらび」に傍点]・ほとき[#「ほとき」に傍点]まだ色々試して見たが、多くは忘れた。其中、ごうわらび[#「ごうわらび」に傍点]と言うのが、異様に歯や舌に触れた。どほな[#「どほな」に傍点]と言うのは私がすきで、信州の山中から時々とり寄せているうとうぶき[#「うとうぶき」に傍点]と同じ物であった。山の菜としては、うとうぶき[#「うとうぶき」に傍点]がやはり、本格的な薫りと、味いとを持って居ると言うものだろう。柳田國男先生にお裾わけしたところが、先生も忽、うとうぶき[#「うとうぶき」に傍点]の愛好者になってお了いになった。

[#ここから2字下げ]
夕深く 山の自動車は 山鳥の道に遊ぶを 轢き殺さむとす
[#ここで字下げ終わり]

旅に出る前、私は斎藤茂吉さんに逢った。出羽の温泉の優れた処を教えて下さいと言ったところ、白布の外は肱折《ヒジオリ》だなあと話された。私は、雄勝・院内を越えて、秋田県の鷹の湯に一夜、引き還して新庄から肱折に這入って一晩を泊りに出かけても見た。やっぱり肱折はよかった。新庄からあんなに奥へ這入って行って、ああ言うがっしり[#「がっしり」に傍点]した湯の町があろうとは思わなかった。どの家も大きな真言の仏壇を据えて、大黒柱をぴかぴかさせて居ようと謂った処である。湯を呑んだ味は、今まで多く歩いた諸国の温泉の中では、一番旨いと思った。一つは、私の味覚に最叶う炭酸泉の量が多いからであろうと思う。が、其ほかにも、かわったものを含んでいるようである。私は此湯場を中心にした色々な湧き場を歩いて見た。ここは標高はわりに低いから、真夏の今頃よりは、もっと涼風立って、農村の忙しくなった時分に、静かに入湯に来たいものと考える。

[#ここから2字下げ]
をみなごの立ち居するどし。山の子に よきこと言ひて 人は聞かさず
[#ここで字下げ終わり]

八月の中頃になって、ちっとでも東京に近寄って居ようと言う気が動いたのであろう。つい[#「つい」に傍点]栃木県まで引き還して来た。そうして今は、奥那須の大丸塚に居る。傾斜の激しい長い沢が、高い処から落して来て、ここで急に緩くなって居る。そうした、両側の巌の間から湯が流れて、湯川になっている。旧暦の七夕の星空もここで見た。八月の九日月も、川湯に浸って眺めた。やがて、此月が円かになるまでは、ここに居ようと思って居る。

[#ここから2字下げ]
東京に帰らむと思ふ ひたごころ。山萩原に地伝ふ風音
[#ここで字下げ終わり]



底本:「日本の名随筆10 山」作品社
   1983(昭和58)年6月25日第1刷発行
   1998(平成10)年8月10日第26刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第廿八巻」中央公論社
   1968(昭和43)年2月初版発行
※底本で、「先生も忽、うとうぶ[#「、うとうぶ」に傍点]きの」となっていたところは、底本の親本を参照して、「先生も忽、うとうぶき[#「うとうぶき」に傍点]の」に改めました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング