つた地方になると、国原を歩いて居て、何時間も人に逢はなかつた。雑木原と黒木の林だけなら、其でよいが、ところ処桑畠がまじつて居て、却て人恋しいやうな寂しい気がした。海原の真中に、荒い芝が長く生えて居たり、山の鳥がそんな叢に出入りの姿を見せることもあつた。
確かまだ武者小路氏の「新しき村」が開かれない時分で、あの辺になつてゐたのだなと、後に思ひ合せた茶臼|原《バル》の曠野をも横ぎつた。
野は唯青くて、殊に夏のことだつたから、こぼれ生えの槿の木が多かつた。見わたす荒野に人近い気をさせる槿が林叢《ボサ》をなして、午後になつても、花が大きく咲いて居たのが、今も奥日向の印象を幽かなものにさせて居る。若山氏の「樹木とその葉」は読まなかつたが、あの集で見ると、沼津千本松原の新居に近い畔の槿の事が書いてある。『あの花を見る毎に秋を感じ、旅を思ふ』などゝ述べてゐる。この花に、名状出来ない懐しみを感じたこの人の心持ちは、私に説ける様な気がする。少々詩を持つた言ひ方をすれば、やつぱり日向の外に日向を求めようとして居たもの、としか思はれない。
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最上川ぞひに ひたすらくだり来て、羽黒《ハグロ》の空の夕焼けも 見つ
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世間にもおなじ考への人があるのだらう。二等車の隅で静かに目をあいて、ぢつとして居て、人が這入つて来ると、何となく神経のさゝくれを見せるやうな人が、乗つて居るものである。
汽車にも時季《シユン》と言ふものがあつて、静かな気持ちで半日も乗り続けたことが忘れられないで、廻り道でもあり、目的地をふり替へなければならなかつたりするのだけれど、わざ/\其線を選んで乗つたりすることがある。さうした場合に限つて、えて、そんな安らかな期待が、蹂躙せられる。議員選挙の助勢に出掛けて行く一群が、もう降りるか/\と思つてゐると、私たちの乗ると、同じ位の距離をしやべり続けて来ることがある。あゝ言ふ人たちの人もなげな物言ひは、時にはほゝゑましい思ひを動すことがないでもない。
底本:「日本の名随筆67 宿」作品社
1988(昭和63)年5月25日第1刷発行
1999(平成11)年9月30日第9刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第二八巻」中央公論社
1968(昭和43)年2月発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日
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