の後を次に譲って、ねたみはない。だいたい不思議なほど、自分らが連れてきたものに譲っていっている。秩序なく考えると、一緒だと思うが、しだいしだいにあがってゆくのが順序なのであろう。
 こんな一群が幾流れかあって、この同じ流れの間では軋轢が起こらぬ。女でも腹の立つことがあろうと思うが、それはわれわれの先入見かもしれぬ。平安朝の結婚の形式ではっきりしてくることは、昔ならむかいめ(嫡妻)があって、その他に側室があるように考えられるふうに書いてあるが、平安朝では嫡妻はなく、有力なものが二人三人あり、この間の軋轢はひどい。Aの流れは共同してBにあたる。嫉妬の形が違うわけである。そう言うても安んじないが、そういう様式を守っているので、同族の中から出たもので争うのは、原始的な感情から解放されるか、あるいは新しいものに触れたのが遅いかで、その点、世間の普通の感情がこうだからとは決められぬ。
 宮廷のことをうわさするのは、おそれ多いが、本当の美しい心でせねばならぬ。宮廷には大きい二つの流れが、妻妾にある。私は、これを火と水とにたとえている。火の系統から出るお方と、水の系統から出るお方とがあって、火の系統は皇族の流れ、水の系統は民間からのお方である。どういう皇族が出るかはわからぬ。宮廷の系図ははっきりしすぎていて整理がつかぬが、水の側は整理がつきやすい。ともかく、はっきり見えるのはこの二つである。宮廷自身から出る火のほうばかりが強いわけでもない。交替に出ているわけでもない。
 ところが、水の系統のお方は、どうしても、火の系統のお方に対しては階級が低いのであろう。だから、水の系統のお方が第一位に出られるときには、いろいろと議論が起こった。水の系統の光明皇后が出られたときは、聖武天皇が宣命の中で、わけを説いておられる。だいたい、皇族から出られるのが第一位で、他氏から出られるのは第二位である。火と水との系統の争いは、ずいぶん長くつづいた。しかし、生まれた皇子たちには、区別がないと思うていたらしい。だんだん水の系統から、みめの出ることが盛んになったが、ときどき火の系統からもはいった。
 日本の民間伝承には、宮廷から出たものと、下からのぼったものとがあるが、見やすく誤りのないのは、上から出たもの、すなわち、貴族へ伝わったものである。それを下が模倣している。妻をもつ方法についても、宮廷のことから調べてかかると、確かなことがわかる。平安朝以後は、貴族のが出てくる。貴族の結婚の方式ははっきりとわかってくる。[#地付き](昭和十二年十月七日)



底本:「日本の名随筆 別巻77 嫉妬」作品社
   1997(平成9)年7月25日第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 ノート編 第七巻」中央公論社
   1971(昭和46)年9月発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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