抄』は、日本の語からそれに当る漢字を探し出す。「俗言雅訳」と似ているが、この語に当る字は何かと探すのだから、違う。伊呂波字類抄も形が進んでいて、そういうものの歴史もかなり古いと思われる。山田孝雄氏がその系統を調べておられ、古典全集の解題のなかに、その研究が発表されている。そういうふうに、平安朝時代からすでに、漢字をば主としていくものと、両方ある。
 名前からみれば和訓を示そうとした目的がみえるが、実際の仕事からみると倭名鈔は和訓をそんなに問題にしていない。倭名鈔の編纂の態度は学問的である。当る和訓がないと無理をしないで通っている。伊呂波字類抄のほうは、国語を発音によって並べ分類している。国語の辞書の歴史のうえでは大事のものだ。新撰字鏡になると、中国の辞書の翻訳である。今日われわれに残っている平安朝の辞書には、この三つの態度がみられる。
 日本の辞書の歴史はごく簡単なもので、それが合流して節用集となった。これらがいろいろな形に変わってきて、種々な節用集になった。そして、ずっと明治の前までつづいてきた。ただ、おかしいのは、和訓に歴史があって、容易に新しい訓を加えなかった。誰でも歴史を大事に
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