。何か拠り所はあろうが、わからない。
いったい、辞書というものは何のために作るか。そんなことはわかりきったことだというかもしれぬが、ほんとうはわれわれにはわからなかったろうと思う。われわれが知っているのは皆、漢字のものだが、ごくわずかに国語の辞書が古くからあって、なかなか手にはいらなかった。で、辞書といえば漢字の辞書と思っていた。漢字の辞書は、書物を読むためのものというより、字の一個一個の日本的意義を知るもの、あるいは字の音を探るだけのもので、死んだ利用しかできなかった。それで考えてみると、辞書は考えられないような目的をもっている。本を読むためのものでなくて、あらゆる日本の事柄が出ていることが大事になる。中学生の辞書は、完全な目的を遂げているものではない。『辞林』『辞苑』は百科全書の小さいもので、ほんとうの意味での語彙ではない。啓蒙的な字引きにすぎない。けれども、常にわれわれの使う辞書といわれているもののなかにはいってくるものは、字引きと語彙だ。字引きのほうは栄えて、語彙は利用の範囲が少ない。むしろ利用せられているかいないかわからない。厳格にいうと、日本にはまだほんとうの語彙はない。
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