過ぎた處に病氣があり、生ひ先の短い事を思はせた。中にはも少し、ぼんやりとした物がないではなかつた。これこそ、其中では、望みをかける事の出來るものと思はれた。此側の作風には、失禮かも知れぬが、どうも、新感覺派に、宇野浩二流の文脈が這入つてゐる樣に思ふ。宇野さんの文章なるものは、明治以來の幾多の作家中でも、殊に日本的の文章である。なるほど他の人々と比べて見ると、一見不熟な、ありふれた直譯文の文脈などをとり入れてゐるが、あれが又、日本の文章の組織に十分に移しこまれてゐるのだ。と言ふよりも、日本の文章には、宿命的に、當然あゝした進み方に行く筈の要素のある事を、思はせるものがあつた。あのねつい[#「ねつい」に傍点]發想法は、平安文學の理會があると稱せられた芥川さん、又、評判だけでなく、ほんたうに、王朝文學の訣つてゐられる谷崎さんあたりの所謂美文よりも、根本的に、又本質的に物語文に通ふ處がある。其と同時に、大正・昭和における本道の話し手らしい書き方だと感じさせた。其一つ前にも、岩野泡鳴がゐた。此人は、理論から見ると、十分日本の文章を知つてゐたが、實際になると、失語症の樣な處があつた。そのぶきつちような處に、泡鳴らしい味ひがあつたものである。
宇野流と新感覺とでは、大變違ふ樣だが、かうした事實が、ほんたうに一つになつた處に、詩人出の多くの作家の特殊な表現があると思ふ。新感覺派の文章を其まゝに推し進めて、飛躍させて來たものと見てよいのが、當時流行の所謂ぷろれたりや[#「ぷろれたりや」に傍線]の文章だと思ふ。どうも、ぷろれたりや[#「ぷろれたりや」に傍線]にそぐはない程、其文章の感觸に芳烈さがある。原文は讀めないから訣らないが、ろしあ[#「ろしあ」に傍線]物などに、ありさうもない水際だつた姿と、かつきりした書き方に整ひ過ぎてゐる。暗い題材を扱ひ乍ら、明るすぎる。其は、青年の作らしいよい處だが、我々中年の傍觀者には、物足らない。始終ある解決を待つてゐる大きな陰鬱な雲が、頭の上におつかぶさつてゐる氣分を起させる文章が、人生を指導してくれる大きな文學の、必持つて來る姿だと信じてゐる。貴族的な明るい感覺的なものを、ぷろれたりや[#「ぷろれたりや」に傍線]作家諸君が、發想法に持ち過ぎてゐるのである。だが、其等の人の間に、最近の傾向として、文章の型に囚はれ過ぎてゐる私どもの心を、元氣づけるに十分なものが現れ出した。
地の文と對話と、内容と外部との描寫の交錯した、自由な發想法が出て來た事である。此は大分、文章の歴史の上の大事件の樣な氣がする。唯中には、かうした形を文章の技巧と意識し過ぎて、一種のじやず・ばんど[#「じやず・ばんど」に傍線]を作らうと考へてゐるらしい作家もあるのには困る。さう早くから、望みある水の川上を濁してくれては困る。こんな點では、さすがに谷讓次さんのものには、心理に隨伴した交錯や、幻影が適確な表現を獲てゐる事が多いと思ふ。なるほど世間の評判も、時には信じてよいと考へた。だが、此人の文章にも、氣品があり過ぎる。新感覺派に接觸し過ぎてゐるのが、好意は持てゝも、不安である。かう言ふ氣品は、どうかすれば、小い皮肉を出したがるものである。鴎外博士の作物の缺點は、とりすまし[#「とりすまし」に傍点]と、小皮肉とであつた。芥川さんなどは其に終始してゐた樣である。第二の潤一郎になる人は、此人ではないかと思ふだけ、少しのあら[#「あら」に傍点]が目立つていけない。
谷崎さんの文章は、世間で言ふほど完成したものではない。私どもに言はせれば、芥川さんなどより破綻がある。けれどもそこに、がら[#「がら」に傍点]の大きさを見せてゐる。又其だけ文章にも、不安は持つてゐられるらしい。昨年出た本誌の論文――「現代口語文の缺點について」――などは、實はもつと國語・國文教育者が、反省してもよい筈だつたと思ふ。私などは、無條件に賛成である。其といふのが、常日頃考へてゐた事の代言をして貰うた氣がしたからだ。其ほど、私をつり込んだ論文も、實は谷崎さん當座用の煩悶帳であつた。今一つ將來の文章についても書いておいて貰ひたかつたものだ。
聲調の上の美や、描寫法の上の傳習的な確實から超越した、さうしてまう少し日本流に連綿した文章が出ようとしてゐる。又其を育てねばならぬと言ふ申し出が、實は聽きたかつたのである。



底本:「折口信夫全集 廿七卷」
   1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「改造 第十二卷第二號」
   1930(昭和5)年2月
※底本の題名の下に書かれている「昭和五年二月「改造」第十二卷第二號」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※踊り字(/\、/″\)の誤用の混在は底本の通りとしました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文
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