出あう者がなかった。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔《つつま》しく併しのどかに、御堂御堂を拝んで、岡の東塔に来たのである。
ここからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考え浮べることも、しなかったであろう。まして、家人たちが、神隠しに遭《お》うた姫を、探しあぐんで居ようなどとは、思いもよらなかったのである。唯うっとりと、塔の下《もと》から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現《うつ》し世《よ》の目からは見えぬ姿を惟《おも》い観《み》ようとして居るのであろう。
此時分になって、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝《じんちょう》の勤めの間も、うとうとして居た僧たちは、爽《さわ》やかな朝の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》いて、食堂《じきどう》へ降りて行った。奴婢《ぬひ》は、其々もち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗ったようになった、境内の沙地《すなじ》に出て来た。
[#ここから1字下げ]
そこにござるのは、どなたぞな。
[#ここで字下げ終わり]
岡の陰から、恐る恐る頭をさし出して問うた一人の寺奴《やっこ》は、あるべからざる事を見た様に、
前へ
次へ
全159ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング