の日《ヒ》の夕《ユフベ》、山の端《ハ》に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指《オヨビ》、白玉の指《オヨビ》。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに、事もなく搖れて居た。

        十四

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貴人《ウマビト》はうま人どち、やつこは奴隷《ヤツコ》どち、と言ふからの――。
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何時見ても、大師《タイシ》は、微塵《ミヂン》曇りのない、圓《マド》かな相好《サウガウ》である。其に、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏上《ウヂノカミ》で、數十|家《ケ》の一族や、日本國中數萬の氏人《ウヂビト》から立てられて來た家持《ヤカモチ》も、ぢつと對うてゐると、その靜かな威に、壓せられるやうな氣がして來る。
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言はしておくがよい。奴隷《ヤツコ》たちは、とやかくと口さがないのが、其爲事よ。此身とお身とは、おなじ貴人《ウマビト》ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上《ノボ》ると、うま人までがおのづとやつこ[#「やつこ」に傍点]心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。
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家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じ、かたどつて作るなら、とつい[#「つい」に傍点]聯想が逸《ソ》れて行く。八年前、越中[#(ノ)]國から歸つた當座の、世の中の豐かな騷ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大佛|開眼《カイゲン》供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好《ハチジフシユガウ》具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて來たのである。
かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの盧遮那《ルサナ》ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
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お身も、少し咄したら、えゝではないか。官位《カウブリ》はかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫微中臺の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。家《ウチ》に居る時だけは、やはり神代以來《カミヨイライ》の氏上《ウヂノカミ》づきあひが、えゝ。
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新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土《モロコシ》の才《ザエ》が、やまと心[#「やまと心」に傍点]に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい氣がした。理會者・同感者を、思ひまうけぬ處に見つけ出した嬉しさだつたのである。
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お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせ[#「わせ」に傍点]だつたのだなう。お身は――。お身の氏では、古麻呂《コマロ》。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。
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兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。
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お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て來る元になつて居る――さうつく/″\思ひますぢやて。ところで近頃は、方《カタ》を換へて、張文成を拾ひ讀みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十《ハタチ》代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか/\隱れては歩き居《ヲ》る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁《ジン》に會うて來た者の話では、豬肥《ヰノコヾ》えのした、唯の漢土《モロコシ》びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾《ウベナ》うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな經驗《オボエ》は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女子《ヲミナゴ》だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ/\男の爲ぢやて。
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家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな氣が湧いて來た。
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さやう/\。智慧を持ち初めては、あの欝《イブセ》い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内《ヨコハキカキツ》の――
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此はいけぬ、と思つた。同時に、此|臆《オク》れた氣の出るのが、自分を卑《ヒク》くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。
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好《エヽ》、好《エヽ》。遠慮はやめやめ。氏[#(ノ)]上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏[#(ノ)]上に任ぜられた訣ぢやあ、なかつたつけの。
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瞬間、暗い顏をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て來た。
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身の女姪《メヒ》が神隱しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつ[#「いきさつ」に傍点]を、さう解《ト》るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。實はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。
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今度は輕い心持ちが、大膽に押勝の話を受けとめた。
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お身さまが經驗《タメシ》ずみぢやで、其で、郎女の才高《ザエダカ》さと、男擇びすることが訣りますな――。
此は――。額《ヒタヒ》ざまに切りつけるぞ――。免せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡《ヒラヲカ》の齋《イツ》き姫にあがる宿世《スクセ》を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。
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大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顏を見ながら、きまじめな表情になつた。
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ぢやがどうも――。聽き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿彌陀經の千部寫經をして居たと言ふし、樂毅論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習ひしたらしいし、まだ/\孝經などは、これぽつち[#「これぽつち」に傍点]の頃に習うた、と言ふし、なか/\の女博士《ヲナゴハカセ》での。楚辭や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の垣毀雪女《カイコボチヲナゴ》ぢやもの。――どうして、其だけの女子《ヲミナゴ》が、神隱しなどに逢はうかい。
第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。天[#(ノ)]二上は、中臣壽詞《ナカトミノヨゴト》にもあるし……。齋《イツ》き姫《ヒメ》もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。
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押勝の眉は集つて來て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顏も、思ひなし、ひずんで見えた。
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何しろ、嫋女《タワヤメ》は國の寶ぢやでなう。出來ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高望《タカノゾ》みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ/″\尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい[#「どだい」に傍点]兄公殿《アニキドノ》が、少し佛|凝《ゴ》りが過ぎるでなう――。自然|内《ウチ》うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女《イラツメ》も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家《ウチ》の久須麻呂が泣きを見るからの。
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人の惡いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。
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兄公殿《アニキドノ》は氏[#(ノ)]上に、身は氏助《ウヂノスケ》と言ふ訣なのぢやが、肝腎齋き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神《カン》さびたものよ、と思うたぞ。今《モ》一代此方から進ぜなかつたら、齋き姫になる娘の多い北家の方がすぐに取つて替つて、氏[#(ノ)]上に据るは。
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兵部大輔にとつても、此はもう[#「もう」に傍点]、他事《ヒトゴト》ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代續いて氏[#(ノ)]上職を持ち堪《コタ》へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ[#「よせ」に傍点]が重かつたからである。其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪[#(ノ)]上[#(ノ)]郎女は、二人の女子《ヲミナゴ》を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。此方《コチラ》も藤原同樣、叔母御が齋姫《イツキ》で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯《サヘキ》の數知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、
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こんな話は、よそほかの氏[#(ノ)]上に言ふべきことでないが、兄公殿《アニキドノ》があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面《オモテ》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二處に二度づゝ、其外、週《マハ》り年には、時々鹿島・香取の東路《アヅマヂ》のはてにある舊社《モトヤシロ》の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。實際よそほかの氏[#(ノ)]上よりも、此方《コチラ》の氏[#(ノ)]助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏[#(ノ)]上の氣持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏[#(ノ)]上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上樣方に於かせられて、お叱りの御沙汰《ゴサタ》を下しおかれぬ限りは――。
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京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く空《ア》けて、深々とした山齋《ヤマ》が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中《ナカ》み門《カド》、西の中《ナカ》み門《カド》まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々《クワンヽヽヽ》とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。
庭を立派にして住んだ、うま[#「うま」に傍点]人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。
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案じるなよ。庭が行き屆き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかり
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