出にまう一度、此|匂《ニホ》やかな貌花《カホバナ》を、垣内《カキツ》の坪苑《ツボ》に移せぬ限りはない。こんな當時の男が、皆持つた心をどり[#「心をどり」に傍点]に、はなやいだ、明るい氣がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統《スヂ》で一番、神《カム》さびたたち[#「たち」に傍点]を持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡《ヒラヲカ》の御神《オンカミ》に仕へて居る齋《イツ》き姫《ヒメ》の罷める時が來ると、あの孃子《ヲトメ》が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも應じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が來るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を淨めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十《トヲ》を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、夙《ハヤ》くから、海の彼方《アナタ》の作り物語りや、唐詩《モロコシウタ》のをかしさを知り初《ソ》めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執著《シフヂヤク》が深か
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