ら見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂|存生《ゾンジヤウ》の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條七坊をすつかり占めた大屋敷を、一垣内《ヒトカキツ》――一字《ヒトアザナ》と見倣して、横佩墻内《ヨコハキカキツ》と言ふ者が、著しく殖えて來たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波《ナニハ》に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた帥《ソツ》の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車《ヒトクルマ》に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。
山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。
官廳や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠
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