つたと同前の人間になつて、現《ウツ》し身の人間どもには、忘れ了《ヲフ》されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死《トモジ》にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子《アハツコ》は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食《ヱジキ》に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこ[#「むすこ」に傍点]よ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。劫初《ゴフシヨ》から末代まで、此世に出ては消える、天《アメ》の下《シタ》の青人草《アヲヒトグサ》と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外《ソト》の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑《ツブ》つて居たおれの目よ。も一度くわつと※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《ミヒラ》いて、現し世のあ
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