知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。
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詮索ずきさうな顏をした若い方が、口を出す。
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いえ。第一、こんな場合は、騷ぐといけません。騷ぎにつけこんで、惡い魂《タマ》や、靈《モノ》が、うよ/\とつめかけて來るもので御座ります。この御館《ミタチ》も、古いおところだけに、心得のある長老《オトナ》の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。
もうよい/\。では戻らう。
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十
をとめの閨戸《ネヤド》をおとなふ風《フウ》は、何も、珍しげのない國中の爲來《シキタ》りであつた。だが其にも、曾てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて來た風習と、その古い爲來りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雜作《ザフサ》もない石城《シキ》だけれど、あれを大昔からとり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老《トネ》たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部《カタリベ》などの昔語りから、來た話なのであらう。踏み越えても這入れ相《サウ》に見える石垣だが、大昔|交《カハ》された誓ひで、目に見えぬ鬼神《モノ》から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼《モノ》との間にあつて後、村々の人は、石城《シキ》の中に、ゆつたりと棲むことが出來る樣になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて來る。其は、別の何かの爲方《シカタ》で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて處女の蔀戸《シトミ》をほと/\と叩く。石城《シキ》を圍《カコ》うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美《クハ》し女《メ》の家に、奴隷《ヤツコ》になつて住みこんだ古《イニシヘ》の貴《アテ》びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか處女に會はれよう、と忍び過した、身にしむ戀物語りもあるくらゐだ。石城《シキ》を掘り崩すのは、何處からでも鬼神《モノ》に入りこんで來い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年
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