の上に、薦筵《コモムシロ》二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直《ヂカ》に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代《カベシロ》であつた。天井から吊りさげた竪薦《タツゴモ》が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から※[#「亥+欠」、第3水準1−86−30]嗽《シハブキ》一つせぬ靜けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。晝《ヒ》の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御燈《ミアカシ》の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、女性《ニヨシヤウ》には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥《ウバ》が、何だか、昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
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郎女《イラツメ》さま。
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緘默《シヾマ》を破つて、却てもの寂しい、乾聲《カラゴヱ》が響いた。
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郎女は、御存じおざるまい。でも、聽いて見る氣はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。
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一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顏に見知りのある氣のした訣を、悟りはじめて居た。藤原|南家《ナンケ》にも、常々、此年よりとおなじやうな媼《オムナ》が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋《ヲンナベヤ》までも、何時もづか/″\這入つて來て、憚りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼《ナカトミノシヒノオムナ》――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐[#(ノ)]老女が、藤氏《トウシ》の語部《カタリベ》の一人であるやうに、此も亦、この當麻《タギマ》の村の舊族、當麻[#(ノ)]眞人《マヒト》の「氏《ウヂ》の語部《カタリベ》」、亡び殘りの一人であつたのである。
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藤原のお家が、今は
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