解いた。鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の欝屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。
[#ここから1字下げ]
をい。無言《シヾマ》の勤《ツト》めも此までぢや。
をゝ。
[#ここで字下げ終わり]
八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛《クツロ》ぎ、再杖を横へた。
[#ここから1字下げ]
これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行《ギヤウ》もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬《イホリ》の中で魂をとり返して、ぴち/\しく居られようぞ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關《オホゼキ》。二上の當麻路《タギマヂ》の關《セキ》――。
[#ここで字下げ終わり]
別の長老《トネ》めいた者が、説明を續《ツ》いだ。
[#ここから1字下げ]
四五十年あとまでは、唯[#(ノ)]關と言ふばかりで、何の標《シルシ》もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城《シキ》の譯語田《ヲサダ》の御館《ミタチ》に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸《ムクロ》を、罪人に殯《モガリ》するは、災の元と、天若日子《アメワカヒコ》の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お埋《イ》けになつたのが、此塚よ。
[#ここで字下げ終わり]
以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。
[#ここから1字下げ]
其時の仰せには、罪人よ。吾子《ワコ》よ。吾子の爲了《シヲフ》せなんだ荒《アラ》び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞《サ》へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛《ワカザカ》りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
[#ここで字下げ終わり]
今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだ。
[#ここから1字下げ]
さいや。あの時も墓作りに雇はれた。その後も、當麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢《カヘ》が、此ほどの森になつたものな。畏《コハ》かつたぞよ。此墓のみ魂《タマ》が、河内|安宿部《アスカベ》から石|擔《モ》ちに來て居た男に、憑いた時はなう。
[#ここで字下げ終わり]
九人は、完全に現《ウツ》し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし/\と、感じられ出したのだらう。
[#ここから1字下げ]
もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。
[#ここで字下げ終わり]
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿《ナリ》になつた。
[#ここから1字下げ]
だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒《ユヰシヨ》深《フカ》い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。
[#ここで字下げ終わり]
長老《トネ》の語と共に、修道者たちは、再|魂呼《タマヨバ》ひの行《ギヤウ》を初めたのである。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。

をゝ……。
[#ここで字下げ終わり]
異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。
[#ここから1字下げ]
をゝう……。
[#ここで字下げ終わり]
九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。
[#ここから1字下げ]
をゝう……。
[#ここで字下げ終わり]

        三

萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべてさう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬《イホリ》に、孔雀明王像が据ゑてあつた。當麻《タギマ》の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御發起《ゴホツキ》からだと
前へ 次へ
全40ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング