葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から眞正面《マトモ》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空樣《ソラザマ》に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から峰《ヲ》の上《ヘ》に生え上《ノボ》つて居る萱原は、一樣に上へ/\と糶《セ》り昇るやうに、葉裏を返して扱《コ》き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきり[#「かつきり」に傍点]と、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。
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郎女樣が――。
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誰かの聲である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづつた女たちは、誰一人聲を出す者も居なかつた。
身狹[#(ノ)]乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の兩《モロ》腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。
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誰《タ》ぞ、弓を――。鳴弦《ツルウチ》ぢや。
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人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代《カベシロ》に寄せかけて置いた白木の檀弓《マユミ》をとり上げて居た。
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それ皆の衆――。反閇《アシブミ》ぞ。もつと聲高《コワダカ》に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
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若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの聲で、警※[#「馬+畢」、147−2]《ケイヒツ》を發し、反閇《ハンバイ》した。
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あっし あっし。
あっし あっし あっし。
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狹い廬の中を蹈んで※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた。脇目からは、遶道《ネウダウ》す
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