鳥の宮の 日のみ子さまに仕へたと言ふお人は、昔の罪びとらしいに、其が亦どうした訳で、姫の前に立ち現れて神々《かう/″\》しく見えるのだらう。
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此だけの語が、言ひ淀み/\して言はれてゐる間に、姥は郎女の内に動く心を、凡は気どつて居た。暗いみ灯《あかし》の光りの代りに、其頃にはもう東白みの明りが、部屋の内の物の形を朧ろげに顕し出して居た。
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其は申すまでもないこと。お聞きわけられませ。神代の昔、天若日子《あめわかひこ》と申したは、天の神々に矢を引いた罪ある者に御座ります、其すら、其|後《ご》、人の世になつても、氏貴い家々の娘|御《ご》の閨《ねや》の戸までも忍びよると申しまする。世に言ふ「天若《あめわか》みこ」と言ふのが、其で御座ります。天若みこ、物語にも、うき世語《よがた》りにも申します。お聞き及びかえ。
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姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した声は、年に似ずはなやいだものであつた。
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「もゝつたふ」の歌を残しなされた飛鳥の宮の執心《しうしん》びとも、つまりはやはり、天若みこの一人で御座りまする。
お心つけなされませ。物語も早これまで。
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其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も幾らか朝影《あさかげ》を感じる頃になると、温みがさして来た。
万蔵法院は、村からは遠く山によつて立つて居た。暁早い鶏の声も聞えない。もう塒を離れるらしい朝鳥が、近い端山《はやま》の梢[#「梢」は底本では「稍」]で、羽振《はぶき》の音を立て初めてゐる。
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死者の書(正篇)


       一

彼《か》の人の眠りは、徐《しづ》かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを覚えたのである。
した した した 耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと、睫が離れて来た。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、彼《か》の人《ひと》の頭に響いて居る。全身にこはばつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌、足裏に到るまで、ひきつれ[#「ひきつれ」に傍点]を起しかけてゐることを感じ初めた。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて、見廻す瞳にまづ圧《あつ》しかゝる黒い巌の天
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