登」、第3水準1−93−64][#一]。乃宿[#二]于虞[#一]。庚申、天子南征。吉日辛卯、天子入[#二]于南※[#「酋+おおざと」、8−10][#一]。
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[#地から2字上げ]穆天子伝


       一

鄭門にはひると、俄かに松風が吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、堂伽藍が固まつて見える。――そこまで、ずつと砂地である。白い地面に、広い葉が青いまゝでちらばつて居るのは、朴の葉だ。
まともに、寺を圧してつき立つてゐるのが、二上山《ふたかみやま》[#「二上山」は底本では「二山上」]である。其真下に、涅槃仏のやうな姿に寝てゐるのが、麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に乗つてゐるやうにしか見えない。
こんな事を、女の身で知つて居る訳はない。だが俊敏な此旅びとの胸には、其に似たほのかな綜合が出来あがつて居たに違ひない。暫らくの間、懐しさうに薄緑の山色を仰いで居る。其から赤色の激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日|前《あと》であつた。まだ其日の喜ばしい騒ぎの響きが、どこかにする様に、麓の村びと等には感じられて居る程なのだ。
山|颪《おろし》に吹き暴《さら》されて、荒草深い山裾の斜面に、万蔵法院《まんざうはふゐん》のみ燈《あかし》の煽られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]つて居るだらう。此郷近くに田荘《ナクドマル》を持つて、奈良に数代住みついた豪族の一人も、あの日は帰つて来て居た。此は天竺の狐の為わざではないか、其とも、此葛城郡に昔から残つてゐる幻術師《まぼろし》のする迷はしではないかと、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものである。
数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼつて来て、唯一宇あつた堂が、忽痕もなくなつた。其でも、寺があつたとも思ひ出さぬほど、微かな昔であつた。
以前もの知らぬ里の女などが、其堂の名に不審を持つた。当麻の村にありながら、山田寺と言つたからである。山の背の河内の国|安宿部《あすかべ》郡の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は倶舎《くしや》の寺として、栄えたこともあつたと伝へて居る。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を夢に見られて、おん子を遣され、堂を修理し、僧坊が建てさせられて居た。追追、境
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