津《たぎまつ》彦の社には、祭り時に外れた昨今、急に氏の上の拝礼があつた。故上総守|老《おゆ》[#(ノ)]真人以来、暫らく絶えて居たことであつた。其上、もう二三日に迫つた八月《はつき》の朔日《ついたち》には、奈良の宮から勅使が来向はれる筈であつた。当麻氏から出られた大夫人《だいふじん》のお生み申された宮の御代にあらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狭くなつて居た。郎女が奈良の御館からとり寄せた高機《たかはた》を設《た》てたからである。機織りに長けた女も一人や二人は、若人の中に居た。此女らが動かして見せる筬《をさ》や梭《ひ》の扱ひ方を、姫はすぐに会得《えとく》した。機に上つて日ねもす、時には終夜《よもすがら》織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに円《つぶ》になつたり、断《き》れたりした。其でも倦まずさへ織つて居れば、何時か織れるものと信じてゐる様に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顔を、此頃よくしてゐる。
何しろ、唐土《もろこし》でも、天竺から渡つた物より手に入らぬといふ藕絲織《はすいとおり》を遊ばさうと言ふのぢやものなう。
話相手にもしなかつた若い者たちにすら、こんな事を言ふ様になつた。
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かう絲が無駄になつては――。今の間にどし/\績《う》んで置かいでは――。
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刀自の語で、若人たちは又、広々とした野や田の面が見られると、胸の寛ぎを覚えた。
さうして、女たちの苅つた蓮積み車が、廬に戻つて来ると、何よりも先に、田居への降《くだ》り道に見た、当麻の邑の騒ぎの噂である。
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郎女様の亡くなられたお従兄《いとこ》も、嘸お嬉しいであらう。
恵美の御館《みたち》の叔父君の世界のやうになつて行くのぢや。
兄御を、帥の殿に落しておいて、愈其後釜の右大臣におなりるのぢやげな。
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あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移す。
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やめい/\。お耳ざはりぢや。
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しまひは、乳母が叱りに出た。だが身狭刀自《むさのとじ》自身の胸の中でも、もだ/\と咽喉につまつた物のある感じが、残らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけずに、何の訣か知らぬが、一心に絲を績み、機を織つて居る育ての姫君が、いとほし
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