人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女《めやつこ》が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺田の一部に蓮根《はすね》を取る為に作つてあつた蓮田《はちすだ》へ案内しようと言ひ出した。
あて人の家自身が、農村の大家《おほやけ》であつた。其が次第に官人《つかさびと》らしい姿に更つて来ても、家庭の生活は、何時まで立つても、何処か農家らしい様子が、家構へにも、屋敷の広場《には》にも、家の中の雑用具にも、残つて居た。第一、女たちの生活は、起居《たちゐ》ふるまひ[#「ふるまひ」に傍点]なり、服装なりは優雅に優雅にと変つては行つたが、やはり昔の農家の家内の匂ひがつき纏うて離れなかつた。
刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の田荘《なりどころ》へ行つて、数日を過して来るやうな習はしも、絶えることなくくり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねん[#「つくねん」に傍点]と女部屋の薄暗がりに明し暮して居るのではなかつた。其々に自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を仕へる君の為にと、出精してはたらいた。
裳の褶を作るのにない[#「ない」に傍点]術《て》を持つた女などが、何でも無いことで、とりわけ重宝がられた。袖の先につける鰭袖《はたそで》を美しく為立てゝ、其に珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に染めや裁ち縫ひが、家々の顔見合はぬ女どうしの競技のやうにもてはやされた。摺り染めや叩き染めの技術も、女たちの間には目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸《ひ》で染めの為の染料が、韓の技工人《てびと》の影響から、途方もなく変化した。紫と謂つても、茜と謂つても、皆昔の様な染め漿《しほ》の処置《とりあつかひ》はせなくなつた。さうして、染め上げも艶々しくはでなものになつて来た。表向きは、かうした色は許されぬものと次第になつて来たけれど、家の女部屋までは、官《かみ》の目が届くはずもなかつた。
家庭の主婦が手まはりの人を促したてゝ、自身も精励してするやうな為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ないと言ふばかりで、家の中での為事は、見参《まゐりまみえ》をしないで、田舎に暮
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