者が、君主として、村人に臨んだのである。村の君主の血縁の女、娘・妹・叔母など言ふ類の人々が、国造と国造の神との間に介在して、神意を聞いて、君主の為に、村及び村人の生活を保つ様々の方法を授けた。其高級巫女の下に、多数の采女《ウネメ》と言ふ下級巫女が居た。
此組織は、倭宮廷にも備つて居た。神主なる天子の下に、神に接近して生活する斎女王と言ふ高級巫女が、天子の近親から択ばれた。伊勢の斎宮に対して、後世賀茂の斎院の出来た事から見れば、本来は主神に仕へる皇族女子の外にも、有力な神に接する女王の巫女があつた事は考へられる。さうして此下に、天子の召使とも見える采女《ウネメ》が居た。宮廷の采女は、郡領の娘を徴して、ある期間宮廷に立ち廻らせられたものである。采女は単に召使のやうに考へて居るのは誤りで、実は国造に於ける采女同様、宮廷神に仕へ、兼ねて其象徴なる顕神《アキツカミ》の天子に仕へるのである。采女として天子の倖寵を蒙つたものもある。此は神としての資格に於てあつた事である。采女は、神以外には触れる事を禁ぜられて居たものである。
同じ組織の国造の采女の存在、其貞操問題が、平安朝の初めになると、宮廷から否
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