五 女の家

近松翁の「女殺油地獄」の下の巻の書き出しに「三界に家のない女ながら、五月五日のひと夜さを、女の家と言ふぞかし」とある。近古までもあつた五月五日の夜祭りに、男が出払うた後に、女だけ家に残ると言ふ風のあつた暗示を含んで居る語である。
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鳰鳥の 葛飾早稲を贄すとも、彼愛しきを、外《ト》に立てめやも
誰ぞ。此家の戸押ふる。新嘗忌《ニフナミ》に、わが夫を遣りて、斎ふ此戸を
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万葉巻十四に出た東歌である。新嘗の夜の忌みの模様は、おなじ頃のおなじ東の事を伝へた常陸風土記にも見えてゐる。御祖《ミオヤ》の神即、母神が、地に降つて、姉なる、富士に宿を頼むと、今晩は新嘗ですからとにべ[#「にべ」に傍点]もなく断つた。妹筑波に頼むと新嘗の夜だけれど、お母さんだからと言うて、内に入れてもてなした。其から母神の呪咀によつて、富士は一年中雪がふつて、人のもてはやさぬ山となり、筑波は花紅葉によく、諸人の登る事が絶えぬとある。
新嘗の夜は、神と巫女と相共に、米の贄を喰ふ晩で、神事に与らぬ男や家族は、脇に出払うたのである。早稲を煮たお上り物を奉る夜だと言つても、あの人の来て居るのを知つて、表に立たして置かれようか、と言ふ処女なる神人の心持ちを出した民謡である。後のは、亭主を外へ出してやつて、女房一人、神人としての役をとり行うて居る此家の戸を、つき動かすのは誰だ。さては、忍び男だな、と言ふ位の意味である。
神社が祭りを専門に行ふ処と言ふ風になつて、家々の祭りが段々行はれなくなると、家の処女や、主婦が巫女としての為事を忘れて了ふ様になる。其でも徳川の末までは、一時《イツトキ》上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]などゝ言つて、女の神人を、祭りの為に、臨時に民家から択び出す様な風が、方々にあつた事を思へば、神来つて、家々を訪問する夜には、所謂「女の家」が実現せられたのであつた。
沖縄でも、地方々々の祭りの日に、家族は海岸などに出て、女だけが残つて、神に仕へる風が可なり多い。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「女性改造 第三巻第九号」
   1924(大正13年)年9
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