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古事記の倭建《ヤマトタケル》の臨終の思邦《クニシヌビ》歌が、日本紀では、景行天皇の筑紫巡幸中の作となつて居り、豊後風土記(尚少し疑ひのある書物だが)にも同様にある。此はほんの一例に過ぎない。
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時と処とに連れて、妥当性を自由に拡げてゆくのが、民間伝承の中、殊に言語伝承の上に多く見える事がらである。此なども、木梨[#(ノ)]軽皇子型の叙事詩の一変形と見てさし支へないものなのである。いつたい、軽皇子物語が、一種の貴種流離譚なので、其前の形がまだあつたのだ。神の鎮座に到るまでの、漂泊を物語る形に、恋の彩どりを豊かに加へ、原因に想到し、人間としての結末をつけて、歴史上の真実のやうな姿をとるに到つた。だから、叙事詩の拗れが、無限に歴史を複雑にする。更に考へを進めると、続日本紀以後の国史に記されて居る史実と考へられて居る事も、史官の日次記や、若干の根本史料ばかりで、伝説の記録や、支那稗史をまねた当時の民間説話の漢文書きなどを用ゐなかつたとは言はれない。
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最大きな一例を挙げると、楚辞や、晋唐時代の稗史類には、民間説話を其まゝ記録した、神仙と人間との性欲的交渉を一人称や三人称で記したものが数多くある。其が人間界の仙宮と言うてよい宮廷方面にまで拡つて来て、帝王と神女の間を靡爛した筆で叙《の》べるばかりか、帝王と後宮の人々との上にまで及ぼして、愛欲の無何有郷を細やかに、誘惑的に描写して居る。
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元々空想の所産でなく、民間説話の記録なのであるから、小説と言ふ名も出来たのだ。「小」は庶民・市井などの意に冠する語で、官を「大」とする対照である。説は説話・伝説の意である。
小説・稗史は、だから一つ物で、民間に伝はる誤謬のある事の予期出来る歴史的伝承と言ふ事になる。史官の編纂した物を重んじ過ぎるからさうなつたのだが、段々史実の叙述以外に空想のまじる事を無意識ながら、筆者自身も意識する事になつた。其処で伝奇と言ふ名が、ようろつぱ[#「ようろつぱ」に傍線]の羅馬治下の国の所謂ろうまんす[#「ろうまんす」に傍線]を持つて、地方々々の伝説を記したろうまんす[#「ろうまんす」に傍線]なる小説と、成立から内容までが、似よりを持つて来る様になつた次第である。
既に遊仙窟だけは確かに奈良朝に渡つて来て居て、其を模倣した文章さへ万葉(巻五)には見えて居るが、其外にもなかつたとは言へない。高麗・日本の人々が入唐すると、必、張文成の門に行つて、書き物を請ひ受けて帰つた(唐書)と言ふことは、宋玉一派の爛熟した楚辞類は元より、神仙秘伝・宮廷隠事の伝説を記録した稗史類を顧みなかつたと言ふ事にはならぬ。寧、其方面の書籍が、沢山輸入せられた事を裏書きするものと言へると思ふ。其上に帰化人が生きた儘の伝承を将来してゐる。而も、世界の民族は、民間伝承の上にある点までの一致を持たないものがない。日本と支那との間にも、驚くばかりの類似が、其頃段々発見せられて来た。飛鳥の末・藤原の宮時代の人々の心に、先進国の伝承と一致すると言ふ事が、どんなに晴れやかな気持ちをさせた事であらう。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「日光 第一巻第三・五・七号」
   1924(大正13)年6、8、10月
※底本の題名の下に書かれている「大正十三年六・八・十月「日光」第一巻第三・五・七号」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:野口英司、門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年5月15日作成
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